2009/12/09
0勝2敗2分、得点0、失点2。中国、韓国、イランに次いで、4ヵ国中の4位−−。まずは「日本代表」が2年前に味わったこの屈辱を、サッカーファンに広く共有してもらいたい。2007年10月、韓国で開催された第2回視覚障害者サッカー(B1)アジア選手権。05年の第1回大会で優勝した日本は、この第2回大会も制して、北京パラリンピックの出場権を得るはずだった。しかし決勝進出を懸けた韓国戦では、内容で相手を圧倒しながら0-1で惜敗。3位決定戦でもイランに敗れ、アジア最下位に沈んだのである。
ブラインドサッカー(B1=全盲クラスの5人制サッカー)は、1996年に国際ルールが制定された。欧州や南米では数十年前から多くの国でローカル・ルールが存在したが、このルール統一によって初めて国際大会が可能になり、98年から06年まで4度の世界選手権を開催。04年のアテネ大会からは、パラリンピック種目にもなった。
サッカーは、ボールひとつあれば「誰でもプレーできる」からこそ、世界最大のスポーツになったと言われる。しかし日本では、全盲の人々がサッカーを楽しむ機会は皆無に等しかった。国際ルールが紹介されたのは、01年のことだ。そこでようやく、彼らはサッカーの「輪」に加わることができたのである。
〈盲人がサッカーだなんて、どうやるんだ !?〉−−今年6月に上梓した拙著『闇の中の翼たち ブラインドサッカー日本代表の苦闘』(幻冬舎)の帯には、こんな文句が添えられている。誰もが抱く当然の疑問だろう。
この疑問への答えのひとつは、その特別なルールである。ボールは鈴入り。敵陣では、ゴール裏に陣取る晴眼者の「コーラー」が、攻める方向や状況などを指示する。自陣では、GK(晴眼者もしくは弱視者)がDFのガイド役だ。ピッチ外からは監督も指示を出す。また、ボールがアウトしないよう、タッチライン沿いには高さ約1メートルのサイドフェンスを設置。選手同士の衝突を避けるため、守備側がボールにアプローチする際には「ボイ」(voy=スペイン語で「行く」の意味)という発声が義務づけられる。なるほど、このルールなら視覚なしでもサッカーがやれそうだ。
だが、たとえば憲法や条約などで戦争を禁止すれば平和になるかといえば、そんなことはない。白杖、音の出る信号機、点字ブロックなどを用意すれば視覚障害者が安全に街を歩けるかといえば、そんなこともない。ルールや道具を整備しても、その先に当事者の努力や工夫がなければ、すべては絵に描いた餅に終わる。ブラインドサッカーも同じだ。実際、私は初心者のブラインドサッカー講習会を見たことがあるが、それは「サッカー」ではなく、単なる「ボール探しゲーム」だった。「球蹴り」にさえならない。
しかし現在の代表選手たちが見せるプレーは、紛れもなく「サッカー」そのものである。ドリブルでフィールドを駆け抜けて敵を抜き去り、味方の足元にパスを通し、目の見えるGKが反応できないコースに豪快なシュートを突き刺す。02年に最初の代表チームを結成して以来、日本の選手たちはたゆまぬ反復練習と知恵によって、そんな驚きに満ちたプレーを可能にした。彼らの努力が、サッカーの「輪」を大きく広げたのである。
そして07年8月には、この競技の先進国である欧州王者スペインに1-0で勝利。その年の秋にアジアを制するだけの実力は十分に身につけたはずだった。ところが−−。
あの敗北から2年。代表選手たちは、韓国での屈辱を晴らすべく、さらなる努力を積み重ねた。目指してきたのは、今月17日にアミノバイタルフィールド(東京調布市)で開幕する第3回アジア選手権だ(大会公式サイト)。対戦相手は、中国(北京パラリンピック銀メダル)、韓国、イラン、マレーシア。来年8月の世界選手権の予選も兼ねており、この大会で決勝(20日)に進出すれば出場が決定する。
この目標を達成するために足りないものがあるとすれば、それは代表チームの実力ではない。サッカーファンの支援である。3年前、第4回世界選手権の決勝(アルゼンチン対ブラジル)の舞台となったブエノスアイレスの競技場には、スタンドを埋め尽くした地元観客の熱気が渦巻いていた。実力的にはブラジル優位だったが、勝ったのはアルゼンチン。このサッカーは静かに観戦しなければいけないが、観客の無言の後押しが、選手たちに絶大な力を与えたに違いない。ピッチから観客席まで、そこにはサッカーだけがあった。
それ以降、私は従軍記者のごとく日本代表の合宿や試合に足を運び、チームの成長を見守りながら、常に「この選手たちをあの熱気の中で戦わせたい」と願ってきた。あらゆるサッカーを支えるのが、一度はワールドカップを開催した国の責任でもあるだろう。このアジア選手権でスタンドが満員になったとき、日本のブラインドサッカーは本当の意味で「サッカー」になるのだと私は思っている。
岡田仁志(おかだひとし)
昭和39(1964)年生まれのフリーライター。早稲田大学第一文学部卒業。06年以降、B1日本代表の海外遠征にすべて同行取材した『闇の中の翼たち ブラインドサッカー日本代表の苦闘』(幻冬舎)は、初のドキュメンタリー作品。現在、ブラインドサッカー公式ファンサイト「SOCIO」にて、コラム『はばたけ、闇翼たち!』を連載中。深川峻太郎の筆名でもエッセイやコラムを執筆し、著書に『キャプテン翼勝利学』(集英社インターナショナル)がある。
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