辛口にこだわり続ける名ブランド「菊正宗」

辛口にこだわり続ける名ブランド
「菊正宗」

海運で広まった灘の酒

灘(兵庫県南東部)といえば、酒どころとして有名な土地柄。灘五郷(なだごごう)と呼ばれる5つの区域に日本有数の酒蔵がひしめきあい、全国の酒のうち3割を製造している。
その灘の酒が全国的に有名になった理由の1つに、海運がある。それまで、酒は主に陸路での運搬が多かったが、沿岸部にある灘では樽廻船で江戸まで酒を運ぶことができた。そのため、灘の酒は江戸で広く流通し、「下り酒」の名で親しまれ、一気に名声を得たのである。
「やっぱりオレは、菊正~宗~~」というCMで有名な「菊正宗」も、灘の酒蔵。創業は江戸時代の1659年で、嘉納治郎太夫宗徳(本嘉納家)が酒造りを始めた。本嘉納家では、造った酒のほとんどを「下り酒」にしていたため、とくに江戸っ子に愛され、当時から名声を誇っていたという。

山田錦の里と共に

また、1882年にはドイツから当時高額だった顕微鏡を購入したり、技術者を招聘したり、さらには断熱効果の高いレンガの酒蔵を作るなど、時代時代でつねに最先端の技術革新にも努めてきた。菊正宗の商標が登録されたのも、そのころだ。
酒造りに必要な酒米についても地域の特性が生かされた。兵庫県三木市吉川町の田んぼには、毎年、酒米の最高峰である山田錦が植えられる。土の粘性や気温の寒暖差等が非常に適した環境だと考えられており、菊正宗は山田錦を安定して仕入れる為に、栽培契約を行う農家と連携し「嘉納会」を組織している。
中田が訪れたのは、酒米の生産者が守り続けてきた里山の棚田。嘉納会東支部会長の向井さんは「山田錦は背が高いので、風や台風には細心の注意が必要。この棚田は昔から使われており、大量生産はできないが特に質の高い山田錦ができる」そう話してくれた。代々、山田錦を作り続けてきたプロ集団はなくてはならない存在だ。

食中酒には辛口が合う

菊正宗のCMでは、「うまいものを見ると、辛口のキクマサが欲しくなる」というのもおなじみだが、そのキャッチコピーのとおり、「飲み飽きせず、料理を引き立てる日本酒こそ本流である」というのが、菊正宗の信念である。
食中酒として最適なのは、やっぱり辛口。酒にもブームがあり、甘口が流行った時期もあったが、菊正宗は一貫して辛口にこだわり続けてきた。
350年の歴史を持つ菊正宗だが、第二次世界大戦のときには、爆撃により蔵が3つにまで減るという危機的状態に陥ったこともあった。それにも関わらず、ここまで大きな復興を成しえたのは、ひとえに「料理のうまさを引き出す、辛口の酒」という菊正宗のこだわりがあったからこそだろう。

ACCESS

菊正宗酒造株式会社
兵庫県神戸市東灘区御影本町1-7-15
URL http://www.kikumasamune.co.jp/