浄土を表す平安時代の庭園「毛越寺」

浄土を表す平安時代の庭園
「毛越寺」

2011年、世界遺産に登録される

「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」という名で2011年に世界遺産に登録された平泉一帯。そのなかに今回訪れた毛越寺も含まれている。
毛越寺は今から1000年以上前、中尊寺が建てられたのと同年の850年に慈覚大師円仁が創建した。その後、奥州藤原氏の藤原基衡、藤原秀衡が壮大な伽藍を作り再興させた。数々のお堂や伽藍が建てられて、当時は中尊寺をもしのぐ規模だったともいわれている。その後戦国時代、1573年に兵火にあい、建築物は消失。藤原氏の衰退から、幾度の困難に見舞われお堂はすべて消失した。しかし、庭園と伽藍遺構はほぼ完璧な状態で残されていたのだ。

平安時代の本堂を復元

本堂は1989年に建立されたものだ。案内していただいた志羅山浩順さんによれば、平安時代の建築様式を元に再建したものだそう。
本堂を見て中田が「朱塗りって神社のイメージがありますよね」と感想をいう。「たしかにそうかもしれません。でも平安時代は神仏習合の時代でしたから、神社とお寺は変わらなかったんです。神社とお寺がいっしょにあった。それが完全にわかれたのは明治時代からなんです」と志羅山さんが説明してくれた。

しかし、どうして再建に際して平安時代の姿を選んだのだろうか。それは庭園が平安時代の様式を残すものだからだ。約6万坪の敷地に造られた浄土庭園といわれるその庭園は、平安時代に書かれた日本最古の庭園書である『作庭記』に基づいて作られたと考えられている。大泉が池といわれる池を中心に荒磯風の水分け、枯山水風の築山など、人口美と自然美によって三陸海岸など日本の名勝を模した造りになっているという。
「このあたりは幸か不幸か大きな開発がされなかったため、今も平安時代の庭園や遺構が残されたんですね」と志羅山さん。この庭園に見合うような本堂を創りたかったのだ。


僧侶が舞う、奉納演舞

毛越寺はさきほどもいったように世界遺産の一部である。敷地中央に浄土庭園があり、そのほとりにある臨池伽藍跡は国の特別史跡、特別名勝に指定されている。ほかにも本堂や開山堂、常行堂、そして有名な「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句を刻んだ碑などがある。

だがそれだけでなく、毛越寺には無形の文化財がある。それが「延年の舞」という奉納演舞だ。常行堂というお堂で奉納されるもので、僧たちが舞う演舞だ。国家安泰、五穀豊穣、無病息災を祈念して正月二十日に行われるもので、一般には「二十日夜祭」として知られている。国の重要無形文化財に指定されている演舞である。
見晴らしのよい平安時代の庭園を目の前にのぞむ。一番きれいな季節は、新緑と秋だという。すっと気持ちが落ち着いていく風景だった。

ACCESS

天台宗別格本山毛越寺
岩手県平泉町字大沢58
URL http://www.motsuji.or.jp/