百姓たちが作る未来のネットワーク「木次乳業」

百姓たちが作る未来のネットワーク
「木次乳業」

「食べる」とは

「食べる」とはすなわち、いのちをいただくこと
木次乳業の創業者、佐藤忠吉氏が口ぐせのように言っていたのが、この言葉だという。
自然に逆らうことなく作り、それをいただく。つまり、すべてが大自然の仕組みのなかでおこなわれる営みだということ。作ることも、育てることも、そして食べることもすべてがつながっているのだ。
それゆえ木次乳業では、有機農法にこだわり、有機畜産の実現に向けて取り組みを行っている。
忠吉氏はみずからを「百姓」と名乗る。彼の考える百姓とは、百の作物をつくる人。
農業や酪農の技術はもちろん、それに関わる細菌学、栄養学、はては建築から医療まで、そのすべてをこなすことができる人のことが「百姓」なのだ。だからまだまだ道半ば。80歳を過ぎ、木次乳業を息子の貞之氏に譲った今でも、忠吉氏は求道者として活躍中だ。

多種多様な「食」を作り出す

木次乳業の設立は昭和37(1962)年。それまで農家を営んできたが、日本が都市型国家へと変貌を遂げるなかで、「自立した農業」への思いが強くなり、酪農も始めた。ここの特徴のひとつが、日本ではじめて導入されたパスチャライズ牛乳だ。パスチャライズ牛乳とは、フランスの細菌学者・パスツールによって開発された熱処理法を施した牛乳のこと。一般の牛乳が大量生産のために超高熱処理をして、有益な微生物も含めたすべての微生物を殺してしまうのに比べ、パスチャライズは牛乳の天然性を損なうことなく有害な細菌のみを処理できる。
ここにもやはり、「自然の営みに逆らうことのない、いのちとしての食べ物」という思いが息づいている。

現在、木次乳業では酪農と農業だけではなく、葡萄園やワイナリー、パン屋、豆腐屋など、その土地で取れたものを加工して販売する「食の社」というネットワークを広げている。その仲間には、農家、消費者はもちろん、学生なども参加し、地域的なつながりが生まれている。
「自然に逆らわない」というところから、大量生産を見直す。そして地産地消から、ゆるやかな共同体へ。未来へつながるネットワークがここにはあるのかもしれない。

ACCESS

木次乳業
島根県雲南市木次町東日登228-2
URL http://www.kisuki-milk.co.jp/