土門拳の作品と出会う「土門拳記念館」

土門拳の作品と出会う
「土門拳記念館」

写真家 土門拳

日本に始めて写真技術が伝わったのは江戸時代の長崎だと言われている、そしてはじめて写真館ができたのは開国の舞台 横浜だった。大正から昭和にかけて工業化が進み国産カメラメーカーも登場、世間にカメラ機器が流通し、様々な写真表現が芽生えはじめる。現代では大変身近な存在になっているカメラや写真は、近代において急速に発達した文化なのだ。その日本写真史を語るとき、なくてはならない存在が写真家 土門拳だ。
明治42年・1909年に山形県酒田市に生まれた土門拳は東京の下町で育ち、美術にのめり込む青春時代を過ごす。20代後半から本格的に写真家として歩み出すと、新聞や雑誌といった報道分野で数々の仕事に携わることになる。
仏像や人物のポートレート、広島、貧困や様々な立場の人々を撮影しながら、写真を通して「社会的リアリズム」という概念を確立し、作品を発表し続けた。また写真のみならず、深い知見と独自の美学を言葉でも伝えたことで随筆家としても高い評価を受けている。

世界で初めての個人美術館

山形県酒田市にある「土門拳記念館」は世界で初めて一人の作家をテーマにした写真専門の美術館として1983年10月に開館した。酒田市栄誉市民第一号となった土門は自身の作品の全てを酒田市に寄贈したいと提案し、酒田市がこれに応えて誕生したのだ。
この日、中田が記念館を訪問すると企画展「土門拳記念館開館30周年記念展 土門拳の美学−強く美しいもの−」が行われていた。展示室には大きなサイズの写真が展示されている。館内を案内してくれたのは事務局長の小松原和夫さん。
「この企画では、土門拳の様々なシリーズの中から“土門美学”をテーマにセレクトしています」。
お話を伺いながら中田が足を止めたのは永保寺開山堂を撮影した写真だった。「この建築は素晴らしい。だけど、写真と実際に見た時とは印象が違うかもしれませんね」。と中田。
「そうですね、土門は仏像など被写体と対話し、大きくクローズアップして撮影することも多かった。写真は大変迫力がありますが、実物はとても小さなお像だったということもありますね」。
仏像、自然、建築、ひとつひとつの対象をしっかりと見つめ、大胆に捉えた写真が並んでいた。
この日は展示室だけでなく、特別に収蔵庫を見学させてもらうことができた。
「土門の撮影したフィルムの数は膨大です。この美術館では年に5回ほど展示替えを行いますが、何年もかけなければ全ての作品を見ることはできないでしょう」と小松原さんは話す。

記念館だからこそ体感できる“作品”

実は、土門拳記念館にはもう一つ見どころがある。鳥海山を望む美しい環境に調和する建物は建築家 谷口吉生氏の設計。庭園は華道草月流家元勅使河原宏氏が、彫刻とベンチはイサム・ノグチ氏が友人である土門のために寄贈したもの。記念館全体に、時代の寵児たちの美学がちりばめられているのだ。
「土門は展示発表するというよりも、写真集を発表してより多くの人に見てもらうことを意識していました」。小松原さんの言葉通り、土門拳は数々の写真集を出版している。「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」「古寺巡礼」など、現在でも手に取って彼の仕事を見ることができる。
しかし写真集では感じ得ない“作品”と出会うことができるのが記念館の醍醐味だ。生涯、日本を撮影し続けた土門拳の作品はいつの時代にも通じる美が存在する。写真愛好家のみならず、山形を訪れる際には足を運んでみてはいかがだろう。
(注:訪問は2013年7月。最新の展覧会内容は記念館のHPからご確認ください。)

ACCESS

公益財団法人 土門拳記念館
山形県酒田市飯森山二丁目13番地(飯森山公園内)
URL http://www.domonken-kinenkan.jp