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銀色に輝く鋳金作品。「鋳金作家 正田忠雄」

銀色に輝く鋳金作品。
「鋳金作家 正田忠雄」

DATA
鋳金作家 正田忠雄
栃木県佐野市金吹町

 

1000年以上の歴史を持つ”天明鋳物”

栃木県佐野市は古くから鋳物の産地として知られる街。その歴史は今から1000年以上も前にさかのぼる。平安中期に唐沢城の城主となった藤原秀郷が鋳物師を河内国丹南郡日置荘(現在の大阪府 堺)から連れてきて製造させたのが始まりと言われている。それ以来、日用品から花器まで様々なものが作られるようになり、天明鋳物と呼ばれて人気を得ていた。かの千利休も天明鋳物の茶釜を愛用していたともいわれている。 今回お話を伺った正田忠雄さんは、平安中期に移り住んできた鋳物師・正田又右衛門藤原国光のご子孫。天明鋳物の歴史を脈々と受け継いできた作家なのである。

先祖代々受け継がれる技術。

これまで数々の賞を受け、国内外で高い評価を得ている正田さんだが、「自分がこの世界に入るとは思っていなかった」という。平安時代から続く鋳物師の子孫というプロフィールからは想像ができないが、学校を卒業したあと数年のサラリーマン生活を経てから鋳物師の道に入ったそうだ。それでもいまから振り返るとやはり「先祖を抜きにしては自分はないと思いますね」と語る。サラリーマン生活が肌に合わなかったときに考えたのは、やはり最初は鋳物師の道ではなく小説家を目指して修行していた父のことだったという。そして同じように鋳物の道を選び、父のもとで修行を始めた。

「私どもの仕事は先人の知恵がないとどうにもできない。例えば、鋳造するときに溶かした金属のなかに不純物を吸着して取り除くためにわら灰を入れるんです。これはなぜか、わら灰が一番いい。この技術を先人は自ら生み出した。その技術を現代の私どもも利用しているわけです。そういったことがこの仕事にはたくさんあるんです」 現代のセンスで現代の作品を作る工程にも、先人たちが切り開いた技術が多分に織り込まれているのだ。

磨いて光りだす器。

鋳物というと、茶系統の色の茶の湯釜のようなものが頭に浮かぶが、正田さんがこだわりをもっているのが、朧銀(おぼろぎん)という材質が導き出す銀色。単にきらびやかな銀色とは違い、どこかずっしりと重みのある光を感じさせる銀色だ。正田さんの作品は銅合金を使ったものだが、銅が3、銀が1の割合だと、このずっしりとした銀色が出るのだという。もう30年以上もこの朧銀の色を追求してきた。その結果、正田さんならではの美しくも重厚感のある花器や香炉が出来上がったのだ。

この色を出すためには焼きあがったものを紙ヤスリ等で磨くという作業が必要になる。まさに作品の持つ”色”を決定づける、もっとも力の入る工程だ。すべて丁寧に磨き出さなければ、正田さんの銀色は出ない。中田も体験させてもらったが、これがなかなか難しい。丹念に、そして根気強く磨いていかなくては、あの独特の銀色は出ないのだ。

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