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東洋のガラパゴスと呼ばれる島々「小笠原自然観察指導員 宮川典継」

東洋のガラパゴスと呼ばれる島々
「小笠原自然観察指導員 宮川典継」

DATA
小笠原自然観察指導員連絡会
東京都小笠原村父島字扇浦海岸

小笠原自然保護地域を歩く。

東京都小笠原村。東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々で構成される小笠原諸島は、2011年に世界遺産に登録された。自然遺産としては、屋久島、白神山地、知床に続いて4番目の登録となる。

有史以来、一度も人が住んだことのないといわれる、無人島のなかの無人島が兄島。「この島が世界遺産のなかで一番重要といわれているんです」と説明してくれたのは小笠原自然観察指導員連絡会の宮川典継さん。今回はその兄島と同じ植物相が広がるという乾性低木林を案内してくれた。

身体に覆いかぶさるように茂るタコノキなどの木々。小笠原の固有種であるものも多くある。それらをかき分けて小高い丘に登る。そこは360度の大パノラマ。どこを向いてもきれいな海が広がり、島々には緑が広がる。大自然を満喫できる眺望だ。夜の島も案内してもらい、大自然ならではの満点の星空も見ることができた。

小笠原諸島の歴史。

宮川さんによると小笠原諸島が発見されたのは、400年ぐらい前のことだという。江戸時代には「無人島(ぶにんじま)」と呼ばれ、様々な調査も行われたようだ。19世紀ごろから欧米の捕鯨船が寄港するようになり、人の交流が活発になる。
「ハワイからやってきたんですね。イギリス、ポルトガル系の方が最初にやってきた。そういう人を祖先に持つ人を欧米系島民と呼んでいました」
のちにイギリスが領有権を主張するが、幕府が日本の領土として各国に通告を出した。認められたのは幕末のころだ。そのころに北海道と同じように、開拓が始まり、多いときには人口が1万人近くあったというが、現在は父島、母島合わせて、2500人弱が住んでいるほど。この人口の変化は戦争が大きく影響した。小笠原諸島には硫黄島があることからわかるように、第二次世界大戦時は激戦の地となった。
「戦争中は要塞ができ、敗戦したらアメリカ領になった。そのとき島民は本州に疎開していたんです。1968年に返還されてからも、すべての島民が戻ってきたわけではないんです」

新しいものを楽しめる文化。

「ということは、昔から続いている文化などは少なくなってしまったんですか」
そう中田が聞くと「残念ながら」と宮川さんは話す。「昔ここは南洋との交差点だったから、いろいろなものが混ざり合って独自の文化ができたんですよね。その影響が少なくなったのは事実。でも20年前から少しずつ掘り起こされてきた」
また、昔から小笠原は新しいものを拒絶しないという文化的特徴があるという。現在は新しく島に住み始める人も多いというのだ。「新しいものは新しいものとして入ってくる。それでいて古くからいる人のもとを訪ねれば古いものもきちんと残っている。新しいものを楽しめる、閉鎖されているものが活性化されるのを楽しめるっていうのが、小笠原の古くからの特徴なのかもしれないですね」と宮川さんは話をしてくれた。

自然を巡りながら語らう。

東洋のガラパゴスと呼ばれることもある小笠原諸島。天敵が少ないために、独特な生態系が生まれた。小笠原固有種も数多くある。植物だけでなく、海や空などとにかく自然が豊かな島々だ。
自然観察ガイドさんが同行するツアーも増えており、保護地域に立ち入る際には、靴底をきれいにし、衣服に付いた種子を取るなどマナーを守ることが重要になる。
そして、素晴らしい自然を前にすると、生き物や小笠原の人々の歴史について話が尽きることはない。小笠原の自然とともに、人と人との関わりや生き方について語らうことができる旅だった。

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