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乱世を生きた「東本願寺」

乱世を生きた
「東本願寺」

DATA
東本願寺
京都府京都市下京区常葉町烏丸通七条上る
http://higashihonganji.or.jp/

東本願寺のはじまり

浄土真宗「真宗大谷派」の本山である「東本願寺」の正式名称は「真宗本廟」。京都には西本願寺もあって、それぞれ「お東さん」と「お西さん」と呼ばれている。西本願寺は、新撰組の屯所とされたことでも有名な寺だ。東本願寺も西本願寺ももともとは1つで、浄土真宗の総本山だった。それが東と西に分かれたのは、1602年・慶長7年のこと。
本願寺は、11世宗主の顕如(けんにょ)が最盛期を築き、織田信長と戦った歴史を持つ。その顕如が亡くなったあと、信長と戦ったときの強硬派と穏健派で教団内が分裂。結局、豊臣秀吉の支持を受けた三男の准如(じゅんにょ)が穏健派を率いて12世宗主を継いだが、その後、徳川家康が長男の教如(きょうにょ)を支持し、准如と教如の対立はそのままに、教如を宗主とする「東本願寺」ができたのである。

焼失と復興

その後、1641年・寛永18年には徳川家光から約1万坪の土地が寄進され、現在でも残っている渉成園が造られるなど発展していったが、幕末の蛤御門の変で、御影堂、阿弥陀堂など、伽藍の大部分が焼失。明治に入り、再建が進められ、阿弥陀堂と御影堂が1895年・明治28年に完成した。
しかしそのどれもが近代和風建築を代表する歴史的価値のあるもので、文化財として登録されるなどしている。
さきにあげた渉成園も戦火を免れることはできなかったのだが、こちらの諸建築も明治期に再建され、現在でも四季折々の花が咲き、変化にとんだ景観を楽しむことができる。

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