2007.09.27
バクダット、バクダット!!
「バグダッド、バグダッド!」
これが、イラクからヨルダンに、病気の子供の治療の為に来ていた家族のお父さんとお母さんに、今一番どこに行きたい?と聞いたときの答えだった!!
俺は今、ヨルダンに来ている。映画“インディー・ジョーンズ(最後の聖戦)”の舞台になったPetraも見たし、地球上で最も海抜が低い湖面と言われる“死海”にも行った。そして今は、ヨルダンの首都Ammanに来ている。
このヨルダンはイスラエルとイラクに挟まれているだけあって、パレスチナ人やイラク人の戦争難民が数多く入ってきている。俺は今日、キングフセイン癌センターへ行き、ヨルダン人はもとより、戦争のためにイラクで十分な治療を受けられないイラク人の子供達も受け入れているという状況を見させてもらった。
http://www.khcc.jo/index.asp
この病院がやっているキングフセイン癌ファンデーションのDirector GeneralのHRH Princess Dina Mired自ら出てきてくれ、病院内を案内してくれた。Princessの12歳になるサッカー好きの子供も一緒に僕について、院内を案内してくれた。この病院では、先ほども言ったようにこの財団が集めたお金でヨルダン人だけではなく、イラク戦争のために十分な治療を受けられないイラク人の受け入れもやっている。
しかし、そうやって何とかヨルダンで治療を受けられるようになった子供の家族でも、実際には非常に厳しい生活が待っている場合がある。俺はキングフセイン癌センターを見に行った後、そういったイラク人の家族の1つを訪れた。
http://jimco.exblog.jp/
今回こちらでお世話になったJim-netのブログの一番上に出ているイラフちゃんの家族がそうだ。イラフちゃんの家族は、本当は家族全員でヨルダンに来ようと思って出てきたのだが、国境で止められてしまい、どうにかイラフちゃんと父親だけはヨルダンに来ることが出来たが、残りの家族はみんな国境で止められてしまい、そこにあるモスクで夜を明かし、また家に帰る羽目になったらしい。
一方、イラフちゃんと2人でヨルダンに到着し、何とか治療を受けさせられるようになったお父さんには、また違った意味での苦難が待っていた。それは、病気のイラフちゃんの面倒をたった1人で見なければならないことや、今までまったくしていなかった料理から洗濯・掃除に至るまでを、すべて一人でやらなければならなくなった。さらには、イラフちゃんを置いて外に出ることも出来ず、仕事をすることも出来ない。NGOが生活の支援をしてくれているとはいえ、お父さんはぼそっと一言“気が休まる時が無く、 自分も本当に辛い”とこぼしていたのが印象的だった…。
イラフちゃんは女の子ながら、ブログに書いてあるように結構なおてんばタイプらしく、小さなサッカーボールをあげたら、それを周りの人にバンバン投げつけたりしながら喜んでいた。笑。イラフちゃんが楽しんでいるのを見るのは嬉しかったが、あのボールが、お父さんをさらに困らせるかもしれないなと、気づいたのは別れた後だった…。別れ際に“イラフちゃんが一刻も早く良くなって、イラクに帰れることを心から願っています”というと、お父さんは一言こう言った。
“あなたにアラーの神のご加護があらんことを”
その後、イラクのバグダッドから、ヨルダンのアンマンに出てきて9ヶ月になるという家族の家をお邪魔した。4人の子供がいる家族で、そのうちの1 番小さい男の子が爆弾に巻き込まれ体に大やけどを負ってしまい、その傷が大きくなるにつれて肌が突っ張ってしまうので何度も手術をしなければならず、このアンマンに出てきたとのことだった。
その男の子…は、確かに全身にやけどの跡が。2ヶ月半前に手術をしたばかりだと言っていた。そして、出来れば日本やアメリカに行って手術をしたいと言っていた。日本はイラク人にとっては“憧れの地”だとも言っていた。ここの家族は、先ほどのイラフちゃんの家族とは違い、みんなが一緒に生活をしている。しかし、お父さんのVisaはすでに切れていて、外出して見つかるとイラクに強制送還されてしまう可能性が高いので、ほとんど外出できないとのことだった。生活費はお母さんがたまに路上でタバコなどを売って稼いでいるらしいが、それでも毎日その仕事があるわけではないとのことだった。
ただ、悲しいことばかりでもない。、この9月からヨルダン政府がアメリカの援助もあり、そういったイラク難民(移民?)に対して、子供が学校に行ける自由を発表したとのことで、この家でも長女と長男は学校に行っていた。俺が訪れたときにちょうど彼らが帰宅した。長男はボールをあげると嬉しそうに外に飛んで出て、サッカーをして遊んでいた。
俺がお父さんにいくつか質問をした中で、“今、イラクの何が一番恋しい?”というと、すぐに“バグダッド!!”と答えてきた。俺は、食べ物や友達、そういった答えを想像していたんだけど、間髪いれずに“バグダッド”という答えが出たときにはちょっとビックリした。“バグダッドの何が?”と聞くと、“すべてだ”と答える。隣では、お母さんが“そうだそうだ”と言わんばかりにうなずいている。
俺は最後に、“子供の治療が終わったら、この安全なアンマンに残って生活を続けて行きたいのか、それとも、治安が最悪でも、バグダッドに戻りたいか?”という質問をしたらまたもや“バグダッド、バグダッド”と答えていた。俺は彼らとの会話は、残念ながらすべて通訳を介してしたのだが、この質問の答えを聞いたときに“…バグダッド。…バグダッド。”というのだけが耳に入り、それがまるで“ああバグダッド、ああバグダッド”と哀愁を歌っているかのように聞こえたのが本当に印象的だった…。
これを聞いた俺は、バグダッドの何が彼にそこまで思わせるのか不思議で、是非とも一度はバグダッドに行ってみたいと思った…。
この夜に、Iraq代表のHaidar Abdul Amir Hossain という選手と会う機会があった。この選手は、つい先日行われた2007 AFC Asian Cup Championsの優勝チームメンバーで、2004年のアテネオリンピックでも4位に輝いたメンバーの1人。IraqのAl Zawra’aというチームからJordanのAl Faisalyというチームに2006年に移籍をした。
ヨルダンでの生活について聞くと、非常に落ち着いていて充実している、と。しかし、奥さんと2人で生活をしており、兄弟達はバグダッドにいるという。“ヨルダンに呼び寄せて一緒に生活をしないのか?”と聞くと、“こっちに来てもこちらの生活に飽きてしまうだろうし、バグダッドの方が良い”という。先ほどの“バクダット、バグダッド”と言っていたお父さん同様、この戦場のような状況下にあっても、それでバグダッドの方が良いと言うことらしい。バグダッドはイラクの人々にとって心の古里のようなところと言うことだった。一刻も早く状況が良くなり、バグダッドに帰りたい、とAmirは言っていた。
しかし、現在は彼のような有名な選手や他の仕事で財をなした人などは、やはり誘拐などの目標にされやすいらしく、“残念だが危険で帰るのは難しい”と言っていた。先日のアジアカップでの優勝について聞くと、“個人的にも非常に嬉しかったしチームのみんなも非常に喜んでいたが、それ以上にイラク国民が喜んでいた”と嬉しそうに言っていた。やはり、イラクではサッカーとは大きなものらしい。“こんな状況下だと、イラクに住む子供達はなかなか外でサッカーが出来なくて大変だろうね”と言うと、“イラクの子供達はどんなときでも必ず場所を見つけてサッカーをするよ”と言っていたのが非常に印象的だった。 Jim-netの方は“実際、戒厳令が出て車が道を通らなくなったときに、子供達が道で思い切ってサッカーをしているのを見た”と言っていた。
彼も多くのサッカー選手と同様に、ヨーロッパで選手としてやることが目標だと言っていた。俺が“オリンピックや今回のアジアカップでの結果を見ても、イラクの選手がこれからヨーロッパのスカウト達にもっと注目されていくだろうし、可能性は絶対にある”と言うと“ありがとう”と・・。しかし、今一番の夢を聞くと、やはり“一刻も早く状況が良くなり、バグダッドに帰ることだ”と言っていた・・。
やはり“バグダッド、ああバグダッド”なのかな…。