2012.09.10

東京日記後編1

6月の下旬、東京の旅が再開。旅の時間は異常過ぎるほどに濃密だから、ヒデさん含む旅メンバーと、たった2週間会わなかっただけでも「久々だなぁ…」と感じてしまう。

初日、清元節三味線の人間国宝 清元榮三さんを訪問。
清元さんには着物姿で迎えて頂いたのだけど、どうして芸事をされる方は皆が皆そうであるように、こうも自然に着物を着こなされるのだろうかと思わされる。
実際に使われている三味線を見せて頂く。ずっと前に親戚のおばさんがお祝い事などで演奏をしているのを遠目で見た事はあったのだけど、近くでマジマジと見るのはこの日が初めてだった。

三味線を見ながら、ヒデさんが言う。
「ひとつの芸能をゆっくりと見ていると、使われている楽器や道具のそれぞれが何で出来てるんだろうって気になり出しますね。」
これは旅をして来て、他の色々な事にも共通してヒデさんが感じている事だと思う。細かい事にも意味を見つけたがる、ヒデさんらしい感覚に思える。
「是非構えて、弾いてみて下さい。」と清元さんに勧められたヒデさん、座り方と構え方を教えて頂く。足を少し開いて正座をする、背筋を伸ばして、三味線を構える。手元を見ようとすると背筋が曲がってしまい、悩むヒデさん。
「皆さん普通に座って演奏されてますけど…これ、意外と不安定ですね…。」
と言うように、坐禅の時と同じく、姿勢をキープするだけでも苦戦していた。この時気付いたのだけど、細身という印象のあった清元さん、首から背中にかけて、とても筋肉がついているように思えたのは、偶然ではなかったのだ。

2日目、まずは和泉流狂言師の人間国宝である野村万作さんを訪問。
野村さん、その豊な表情からは若さと強さを感じる。快活な話し方で、話にどんどん引き込まれるのが気持ち良いとさえ感じてしまう。本来お能と狂言はセットで上演されるという話や、京都と東京では芸質が全く違う事など、興味深い話を沢山して頂く。
「お能の流派があると思うのですが、それに合わせた演目を出されるのですか?」と演目の出し方についてヒデさんが質問。
「企画の性質に合わせます。普及の為か、深みが求められるのかなど、様々です。」
お能、狂言、と聞いても、当然あるはずの「演目」にまで頭が回らなかった僕だけど、こういう説明を受けるとどんな演目があるのだろうと気になってくる。お話の中では専門用語が沢山出て来たのだけど、普通に会話をしていたヒデさん、かなり予習して来たのだろう…マジメだ。

野村さんが今の狂言についてこう話される。
「狂言を観る方は、もっと笑ってもいいんじゃないかと思います。ただ同時に、笑いを取ってなんぼでは、それは狂言じゃないとも思います。」
狂言に対する追求と、それを観る者の受け止め方にあるギャップ。スポーツでも通ずる部分があるのだろうか。ヒデさんも深く頷きながら聞いていたのが印象的だった。

それからガラス造形作家の狩野智宏さんを訪問。
狩野さんからは、積み上げられたクラブミュージックのCDが根拠ではなく、どこか現代を感じさせるものがご自身からも、そしてアトリエからも感じられた。

狩野さんは元々広告業界で働いてらしたとの事。
「バブルの時期で、給料も良かったのですが、毎日が仕事仕事で…。そんな時に交通事故に遭ったんです。相手が100%悪かったのですが、“これは自分が引き起こしたんだ”って思いました。」
事故とガラスとの出会いをきっかけに会社を辞め、そこから数年、ほぼ独学でガラスを学ばれたという。狩野さんの作品は、別の言葉にうまく例えて表現するのが難しいのだけど、何か、生き物のように思えた。

狩野さんにこの旅の話をした時にひと言、「体当たりだね。」とヒデさんにおっしゃった。これほどヒデさんの旅を的確に表した言葉がこれまであっただろうかと、僕にはこの言葉がとても心に残っている。

 
それから次は、東京ブランドの乳製品をつくっている牧場、ウエストランドファームの清水睦央さんを訪問。東京にも牧場があったんだ…正直驚かされてしまった。ただ、驚かされたのはそれだけではなかった。
こちら、コンピューター管理のロボット式搾乳システムを導入されている。この24時間自動的に搾乳してくれるシステム、牛の首につけたICチップで一頭一頭を管理し、牛たちは勝手に搾乳部屋へ行って餌を食べながら搾乳してもらう。人の手であれば一日に2度の搾乳が限度らしいが、24時間搾乳を可能にした事で新鮮な牛乳がとれるのだそう。

 搾乳してもらう為に牛がきちんと並んでいる姿は微笑ましいものだったのだけど、ストレスがない為か、モォ〜という鳴き声はほとんで聞かなかった。
さすがにヒデさんもこのシステムには驚いたようで、牛がロボットに搾乳されるのを見ながら何度も感嘆の声をあげていた。

3日目、朝から田村酒造場を訪問した後、陶芸家の小山耕一さんを訪ねた。
東京の下町に窯元、というと何となく不自然な感じもするのだけど、実際に伺ってみると、窯元というよりも、アトリエと呼ぶ方がしっくり来るような、街に馴染んだ場所だった。小山さんの作品はただ「青」や「赤」とは呼べないような色の幾何学模様が特徴的で、オリジナルの技法なのだという。
「作家である以上は、同じ事ばかりをやる訳には行きません。それでは自分もつまらないですから。」
学校の優しい先生のような小山さん。こちらでは陶芸教室もやられていると聞いて納得がいく。
小山さんは30代も半ばを過ぎてから作品づくりを始められたとの事、「きっかけってあったんですか?」とヒデさんが訊く。
「それまでは陶芸を教えるだけだったのですが、子供が大きくなった時に、作家活動をしていないとまずい!と思ったら、尻に火がついたんです。」
と笑って話される小山さん。陶芸の見方について興味深い話が続く。
「東京で、これは作家活動だ、と言ってやる人もいるし、地方で800年の伝統を受け継ぎながらやる人もいる。この業界の面白い所ですよね。」

 
同じ陶芸でも、取り組み方は人それぞれ。ヒデさんの、「これからやりたい事ってありますか?」という質問に、小山さんの信念を覗き見れた気がした。
「誰かがやった事はやりたくありません。オリジナリティを追求したいですね。」
眼鏡の下の優しい目が、この時だけ強い光を放った気がした。

この日は最後に御家流香道二十三代宗家である三條西堯水さんを訪問して終了。

 
東京日記後編2へつづく
 

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。