2011.07.28

静岡日記 中編1

3日目、まずは小國神社へ。
宮司の打田さん、イタリアに行かれた時にヒデさんが以前プレーしたペルージャの選手達のサインボールを買われたらしいのだけど、一体どれがヒデさんのサインなのかがわからなくて困っていたとの事。ボールを手にしながら、「だから是非ともこの機会に確認したかったんです(笑)」と打田さん。
こういう時に、「あぁ、やっぱりヒデさんも有名人なんだな・・」と再確認する。

 

それから西へ移動し、コロッケなどのお惣菜の生産工場である「静岡ファクトリー」を訪問。
こちらの工場は安藤忠雄さんの設計。風力発電を設置して、その電力で工場排水を浄化して自然に近い状態の水に戻すなどの環境対策も施されている。

 

 

こちらの工場は365日休みなしで稼働していると伺ったのだけれど、確かにスーパーやデパ地下などでお惣菜の並んでない日はない事を思い出す。
何重にも及ぶ除菌などのチェックを経て中へ入ると、工場というより、巨大な厨房のような印象を受けた。
工場は人参、レタス、ジャガイモといった具合に部屋分けされていて、部署によって食べ物の香りの変化があった。野菜を洗う機械ひとつとっても、野菜が水中で回転しながら洗浄される際に壁にあたって傷つかない為の工夫などがされていて驚く。
我々“NAKATA  JAPAN”(群馬中編 参照)の大好物であるコロッケの現場へ行くと、ビーフコロッケの臭いが空腹に染みる…。
耐えられない程の空腹感に襲われていると、「是非食べてみて下さい。」というご好意で試食させて頂ける事に。
一気にほうばりたい衝動を抑えながら、クールに「いただきます。」
美味。5つほど乗っていたお皿を、僕とディレクターの大島で瞬時に食べ尽くしてしまった。ヒデさんもお腹が空いてたのか、いつもより箸が進んでいるようだった。

 

 

次は「丸子紅茶の村松」さんを訪ねる。
村松さんは国産紅茶の伝道師のような存在らしいのだけど、お話のされ方から、とても真面目で、紅茶に対しての愛が伝わって来るような方だった。
先日行ったお茶の工場とはまた違った香りがする。
お茶の世界では一番茶、二番茶と呼ぶ物も、紅茶ではファーストとセカンドと呼ばれるらしく、何か面白い。茶師の前田さんがお茶は70℃でいれるのがベスト、と仰っていたのに対し、紅茶はやかんが「ピーッ!」となる時の98℃のお湯でいれるのがいいのだという。

 

ヒデさんが村松さんの説明を受けていると、台所にいた女性から「ちょっといいですか?」と呼ばれた。「中田さんの好みの甘さでミルクティを飲んで欲しいんですけど、加減がわからないから教えて下さい。」との事。
僕も細かい好みまではわからないけども、「甘いのが好きですからねぇ。」と答えると、「じゃぁちょっと、毒味して毒味!(笑)」と女性4人から言われて複雑な気分になりながらも、毒味実行…。
とても美味しかったので、「これくらいでいいと思います!」と僕。
帰りの車で、「ミルクティの甘さどうでした?」と何気なく聞いてみると、「もう少し甘い方が俺は好きだな。」とヒデさん…。
心の中で台所の女性陣に申し訳ない気持ちでいると、「それでも美味しかったけどね。」と付け加えられた言葉に救われた。

 

 

その日は最後に「MOA美術館」に行ってから終了。
4日目の朝は比較的ゆっくりで、最初の訪問地は8時に修禅寺へ。
こちらでは毎朝40分から50分も坐禅をするとの事、ヒデさんも正しい座り方を教わる。以前、石川県の総持寺祖院にて座り方を教わった事があるのだけど、今回は石川にはあった坐蒲(ざふ:高さのある座布団のようなもの)がない。ヒデさんの後ろで真似をしてみる。背筋を伸ばす。やはり正しい姿勢をとる事はキツい。その上、足を組んでみる。痛い。
このキツさと痛さで、自分のダメ度を計られているような錯覚に陥る。いや、そんな事はないはずだ。

それからご祈祷をして頂く事に。読み上げられるお経と太鼓の音、迫力が凄まじい。ただ、心なしか、長い…。後方で、一応正座で頑張っていた僕は、辛さを紛らわす為に心を無にしようと努力した。痛みと精神を分離するように頑張ったのも束の間、早々に諦めて足を崩す。やっぱりダメなのかも知れない…。

 

 

その後は熱海へ。「印鑑職人である小見山臥雲」さんを訪ねる。
小見山さんはお父さんの影響を受けて印鑑職人を志し、今では全国でも数少ないと言われる、印刀以外の工具・機械を使用しない完全手彫りの印鑑職人として注目されている。
印鑑では主に水牛やツゲなどを材料とした物が多いらしいのだけど、やはり一番良いとされるのは象牙との事。その中でも、中心に近い部分が最高級らしく、外にいくに連れて目が粗くなるらしい。
印鑑に絵の入ったものに興味津々のヒデさん。「これ、実印に絵が入っていてもいいんですか?」と聞くと、「今はだいぶ少なくなりましたけど、大丈夫です。」と小見山さん。しかし、この小さな枠の中にこれほど細かい絵を彫るその技術には驚かされる。

 

 

「師匠から、文字や絵を入れる時点で、もう頭の中では出来上がったものをイメージしてやらなきゃダメだぞ、と言われてました。」
それを聞いたとしても、出来るかどうかは努力と強い気持ちがないとダメだろうなと、小見山さんの作品の素晴らしさに納得させられた。
「機械で一度やってしまうと、もう手彫りには戻れないんです。だからこそ大事にしなきゃと思いました。そうしたら、今ではここ静岡では手彫りは自分だけになっちゃって(笑)」
そうやって笑う小見山さんは、どことなく誇らしげだった。

 

 

海が近い事もあって少し湿った空気の熱海を出た僕ら。
豚の生産者でありブリーダーである桑原」さんを訪ねに富士宮市へ移動。熱海とは打って変わって車窓からは山と草原の風景が。豚舎に到着して車を降りると外の空気はヒンヤリ…というか、肌寒い。少し太り気味のディレクターの大島はそうでもなさそうだ。
桑原さんは稀少品種と言われる中ヨークシャー系という豚を生産している。系この種は生産効率が悪い事からどんどん数が減らされていて、日本でもこの種は「幻」と言われたという。
ちなみに黒豚はバークシャー。桑原さんから聞いて驚いたのだけど、日本には、豚の在来種はないらしい。中国の豚がいたようだけど、食卓にのぼる程ではなかったらしく、明治政府が富国強兵(体力強化)の為に食用の豚を入れたとの事。言われてみると、チョンマゲを結っている人たちが豚肉を食べているイメージが湧いて来ない…。

 

「欧米では平均して一人当たり年間70キロの豚肉を食べるんですが、日本ではたった17キロなんです。」という桑原さんが少し寂しそうな表情を浮かべる。
日本人もだいぶ肉食になったと思っていたのだけど、実情はこんなにも大きな差がある事に驚いた。

 

 

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。