2011.07.28
静岡日記 中編2
桑原さんの豚舎を出て少し南下。富士市にある「杉山フルーツの杉山清」さんを訪問。
店内に入ると、花屋さんのように色に溢れたフルーツがあちこちに並んでいる。
いらっしゃいませ!という元気な声が奥から響く。店内のお客さんに混じって、白衣を着た、杉山さんの姿が。
こちらに気付くと、人に元気が伝染しそうな大きな声で「ようこそいらっしゃいました!」とご挨拶頂いた。
フルーツアーティストである杉山さんは、「フルーツの美味しさをもっと知ってもらいたい」との強い思いから「生フルーツゼリー」を発案されたという。
今ではその生フルーツゼリーが大人気となっているのだけど、富士市のこのお店か、全国各地でのライブ販売でしか売られていないとの事。杉山さんの元気な声は、ライブ販売で培われたものなのかな、などと思ってしまう。
店内のジュースバーで作って頂いたメロンの生ジュースを頂く。
濃厚なのにサラッとしたジュースのような飲みごたえ…、矛盾した表現になるのだけど、オレンジやリンゴなどのスタンダードな生ジュースよりも、「うまい!!」と素直に思えたのは初めてだった。
お土産で頂いたフルーツゼリーを夕食時に食べる。ひとつのボリュームも手に持った感触から「お、結構あるな」と思う程なのだけど、ゼリーだからか、ツルっと食べれてしまう。
しかもフルーツの味もしっかり楽しめて、実にうまい。小食のヒデさんも、平気で2つたいらげていた。
その日は最後に「IZU PHOTO MUSEUM」へ行ってから終了。
夜は熱海の宿から花火を見る予定だったのだけど、用事で出かけた僕は交通規制や大勢の人ごみで溢れかえる熱海の街中を車でぐるぐる回ることになる。
遅くなったな、とガソリンを入れていると、ひゅ~…ドォン…という音が。
海の方に目を向けると沢山の火の粉が海面を明るく照らしていた。
「あぁ…、けどここからの眺めもいいな。」なんて思っていると、レシートを持ったおじさんが、「空いてるから、少しならこのまま見ていっていいですよ。」と優しく言ってくれた。ガソリンの臭いを嗅ぎながら、1人で花火を見るのは初めてだな、と思った。
翌日はゆったりと7時半出発。ただ、最初の目的地の「わさび栽培の杉山農園」さんまでは130km…。静岡は横に長い。宿泊は全て伊豆半島だったので、毎日高速を乗り降りする沼津I.C付近、滞在も半ばを過ぎた辺りからは朝の渋滞を避ける為に裏道まで使いこなすなど、まるで地元のように感じ始める。
到着して、すぐにわさび田へ案内してもらう事に。川沿いに車を停めて、大雨の後で少し荒れている川へ降りていくと、そこには対岸とを繋ぐ丸太橋が。
お、楽しそうだなと思いつつ、少し緊張気味に渡る。
川を渡ると、森の妖精が絶対にいると断言できるような木漏れ日の差し込む山道を少し登る。するとそこには、思わず声を出して深呼吸したくなるようなわさび田が広がっていた。
杉山さんは、就農したての頃に市内へ飲みに出ても、お店で出るわさびは一度東京へ出てから戻ってきたものばかりで3、4日は経ってるものが多い事に気付き、それでは本当の味が伝わらないという事で、今では直接お店に卸されている。
杉山さんの「~なもんでぇ」という静岡独特の方言が心地良い。
ヒデさんも持参の長靴でわさび田へ入り、実際に手にとってみたりしている。何やら楽しそうで、僕はちゃんとメモを取りながら、丁度良い具合の岩に腰掛けて、心地よい風と空気を楽しんだ。
車に戻る途中、最後に杉山さんの奥さんが橋を渡られた。怖がる奥さんの手を、杉山さんが引いて渡る。その動きがとても自然で、優しいなぁ…とボーッと見ていると、杉山さんが持っていたケースを「持ちますよ!」とヒデさんが受け取っていて、なんとなく、良いシーンだった。
それから僕らは「ビオファームまつきの松木一浩」さんを訪問。
松木さんは元々ホテルマン。海外のホテルや有名レストランなどで勤務されていたらしく、お話を聞いていると「どうして農業を??」という疑問が自然と湧いて来た。
「ホテルやレストランでの仕事は刺激的でしたが、違った生活がしたかったんです。種を蒔けば大根が生えたり、日が出て畑に行って、日が暮れれば家に帰るような、人間らしい生活がしたかったんです。」
そんな松木さんは畑で土を触っていても、どこか上品さの残る雰囲気の方。都会生活と田舎生活の、良いとこ取りを具現化したような方で、とても羨ましく思えた。
この日最後の訪問先は「陶芸家の鈴木秀昭」さん。
伊豆高原に入ると、そこは日本とは思えないような雰囲気。
自然と車のスピードが落ちて、街並を眺めてしまう。「危ないから前向いてろよー」と後ろからヒデさん。
到着すると、とても明るい雰囲気の鈴木さんご夫婦に出迎えて頂いた。リビングにてお話を伺う。ベランダ越しに見える海の景色に一瞬目を奪われたのだけど、それ以上に、部屋に並ぶ「器が前面に出るような、見るだけの作品が好き」という鈴木さんの作品たちに惹き付けられる。
以前から注目していたというヒデさんも、まるで未知との遭遇のように楽しそうに見入っている。
鈴木さんは29才の時に九谷焼技術研究所へ行かれていて、平均的にみてもとても遅いスタートだったとの事。九谷で学ばれた後にアメリカの大学でも陶芸を勉強されたらしいのだけど、日本とアメリカの違いをこう語られる。
「アメリカでは、独自性ありきという考え方がとても強いと感じ、実際影響を受けました。日本はすごい技術はあるんですけど、デザインに独自性が乏しいとも言えますよね。僕はその融合を目指してるんです。」
先ほどの松木さんに見た都会と田舎の融合ならぬ、和と洋の融合。
こうして見ると、鈴木さんのような方でも全てのアイデアをご自身の中から抽出している訳でなく、経験したことの中から良い部分だけを自分のものにして、それらを陶芸という表現に活かされているのだなと感じた。
これまで31府県をまわって日本の芸術や伝統工芸を見続けて来たヒデさんに、鈴木さんも興味津々。
伝統工芸界の現状や問題点などについて話が盛り上がる。どんな話だったかは忘れたのだけど、ある流れから出たヒデさんの発言が気にかかった。
「僕は国語じゃなくて数学が好きなんです。答えがあるから。ひとつしかないから。」
穏やかな語り口にも、強い意思を感じたこの言葉を聞いて、ストイックにこなすこの旅の先にも、何か答えを見つけようとしているのかもしれないな、と思った。



