2011.08.08
山梨日記 前編
山梨県。長野の旅を終えた頃からヒデさんがずっと楽しみにしていた地元の旅。
ただ、地元と言ってもイタリアに渡ってからはほとんどゆっくり帰る機会もなかったらしく、道などもほとんどわからないらしい。
「甲府の街も変わってるしね…」と少し寂しげだ。
最初の訪問先は「甲州ワインビーフの小林牧場」。
甲斐市の山道を登って行くと、標高1100メートルという場所に小林牧場はあった。急な坂を車で登り、一番奥のロッジにて小林さんの話を伺った。
こちらの牛は、ワインを搾って残ったブドウ粕をはじめ、トウモロコシやオカラなどの飼料を食べて育っている。
牧場の環境は最高だ。取材中に少し抜け出して、ロッジの前にあったちょっとした芝生の広場からの眼前に広がる景色を眺める。
山の下とは全く違う、ヒンヤリとした空気の美味しさに自然と顔がほころぶ。
ゆっくり1人で自然を満喫している場合でもないのでロッジに戻ると、ヒデさんが山梨の農業について質問をしていた。
「ぶどう、すももは日本一なんです。だからまだ農業やってる人はいますよ。ただ、10年後はわからないですよね…」と小林さん。
そんな小林さん御自身も、最初は酪農をされていたのだけど、経営規模を大きくする為に肉牛に移行したのだという。
「少子化もあって、牛乳の消費も落ちてますからね…」と苦笑いされる小林さん。時代の変化に伴い、柔軟に体制を変化させる事の大切さを教わった気がした。
ロッジのベランダにてお肉を焼いて頂く。肉の美味さに素晴らしい環境というスパイスが加わる。旅をスタートして早々に、幸せを満喫した僕らだった。
それから次は「黒富士農場の向山さん」を訪問。
こちらは2002年より日本初のオーガニック卵作りに着手されているとの事。
この農場も小林牧場さんに負けず劣らず素晴らしい環境にあるのだけど、生憎パラパラと雨が降り始める。
ゲージで飼うのと平飼いでは、鶏の穏やかさに大きく影響を与えるらしい。僕らも鶏に近づいてみる。数羽が、興味津々で近づいて来る。余所者の僕らに対して小さな警戒心を持ちながらも、近くまで寄っては、また離れて行く。その行動がなんとも可愛くて、微笑ましかった。
初日最後は「甲州印伝の印傳屋(いんでんや)さん」へ。
甲州印伝とは、鹿革に漆付けをする独自の技法の事。四方を山に囲まれた山梨では、昔から鹿革や漆を産出していたという事で、甲州印伝の歴史も400年程と古い。
製造現場では、各工程を職人さんが分業している。
こちらで使用されている最高級の鹿革は、中国南部や台湾に分布している「キョン」という、とても小型の鹿の革。なんとも可愛い名前に興味を惹かれて実際に見せて頂いたのだけど、手触りはまるでマシュマロのように柔らかい物だった。
最後にお土産で合切袋(がっさいふくろ)というのを頂いたヒデさん。「へぇ、合切袋…」と呟くと、なんでも、「中に一切合切を入れて歩く、という所から来た名前」との事で、またひとつ勉強になったのだった。
2日目、朝は6時前に河口湖の湖畔にあるホテルを出た。
静かな湖から溢れる、目に見えるようなマイナスイオンと心地よく冷たい空気が体に沁み入る幸せな時間。
まずは身延山久遠寺へ。
到着して、いつも通り先に車を降りるヒデさんとディレクターの牧。準備を終えた僕は数秒遅れて車を出た。
朝の新鮮な空気を気持ちよく吸い込みながら前を歩く2 人を見つけた時、その先にあるとんでもない階段が視界に飛び込んで来た。
「あ、階段だ…」
言葉にしたかどうかはわからない。聞く所によると、287段もあるらしい。
リズムを乱す事なくスタスタスタと階段を登り始めたヒデさん。その姿を下から撮影する牧。慣習として、この後僕らは旅ダッシュでヒデさんを追い越して上へ行き、登って来るヒデさんを上から撮影する。
牧が肩に乗せていたカメラを下ろす。そのふっくらした後ろ姿からは気合いとも取れるオーラを感じた。そして牧が走り出し、僕もそれに続く。調子良くヒデさんを追い越した辺りで、一段一段が通常よりも高い事に気付く。いつもより、ツラい…膝と太ももが震え始める。
30才の牧が真剣にゼェゼェ言い出した。呼吸する事で精一杯の僕は上を見ない様にして、ただひたすら目の前にある牧の大根のようなふくらはぎを見つめながら無心で足を上げ続けた。
早朝から大根を見つめながら死にそうになっている僕ってなんなんだろうなどと一瞬考えたりもしたのだけど、それどころではなかった。
汗だくになりながら頂上に達し、震える手でカメラを下に向ける。最初と変わらぬリズムでスタスタスタと登ってくるヒデさん。信じられない事に汗もほとんどかいてなければ呼吸も乱れていない。
そして茹で上がったタコのように赤くなった僕らに一言、「最近たるんでるんじゃないかー」と涼しげに声をかけて来た彼…。
無言で顔を見合わせた僕と牧、なぜか自然と笑いが込み上げて来たのだった。


