2014.01.24

「炎の体育会TV 」特別企画 HIDETOSHI NAKATA × ZICO

 

2014年1月18日に放送され、大好評いただいた 「炎の体育会TV 」特別企画 HIDETOSHI NAKATA × ZICO 。
残念ながらご覧頂けなかった方のために、放送内のナレーションと、ヒデとジーコの対談をもとに構成した文章を掲載させて頂きます。

 

 

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彼はブラジルに降り立った。

その男・中田英寿。

 

サッカー王国の歓声・

彼にとって、久しぶりの感触だった。

ブラジルは中田の分岐点。

 

奇跡を起こしたはじめてのオリンピックも。

辞めると決めた最後の敗北も。

 

相手はカナリア イエロー ブラジル

 

そう最後の指揮官もこの国から来た男だ。

 

 

中田とジーコは、特別な場所で会いまみえる。

 

64年前、ブラジルを飲み込んだマラカナンの悲劇とは?

目にしたのは、サッカー王国の光と影。

 

語ったのは、『引き際の美学』『あの夏の記憶』

今だから、ここだから、男たちは語り始めた。

 

 

「炎の体育会TV 」特別企画

HIDETOSHI NAKATA × ZICO

 

 

ブラジル リオデジャネイロ

南半球のこの国は、今、夏真っ盛り。

海に面したリオのビーチ。

ここでも男どもは、やっぱりサッカーだ。

 

ワールドカップイヤーを迎え、かつての首都・リオデジャネイロも活気に満ちていた。

この街には、決勝の舞台がある。

マラカナン・スタジアムだ。

 

今はシーズンオフだが、この日、特別な試合があった。

 

そのピッチに彼もいた。

 

サッカー元日本代表 中田英寿。

チャリティーマッチのメンバーとして、日本人としてただ一人、招聘されていた。

 

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試合前日、中田はここに足を運んでいる。

64年の歴史をもつマラカナン・スタジアム。ブラジル最大のサッカー場だ。

 

中田「ここでは選手として、数年前にやったことがありますけれど、新しく改修したマラカナンに来たのは、今回が初めて。」

 

 

ワールドカップに向け、生まれ変わったマラカナン。

7月、世界の頂点を賭け、代表選手が歩く、ピッチへ続く廊下を中田が歩く。

 

 

行く手には、かつての指揮官が待っている。

 

ジーコ「ダイエットしてるの?また恰好良くなったね」

中田「いえいえ 少しお腹が出てきました」

ジーコ「いや 何キロがプレゼントしようか」

中田「元気ですか?」

ジーコ「元気だよ そっちは?」

中田「元気にしています」

 

 

中田にとって、現役時代最後の監督となったジーコ。

チャリティーマッチを企画し、中田をブラジルに呼んだのも、彼だった。

 

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2006年 ワールドカップ ドイツ大会の時。

黄金世代と称された日本代表の中心が中田であり、そのチームを率いたのがジーコだった。

 

 

ジーコ「私も もう年をとったよ」

中田「やっぱりマラカナンは良いね」

ジーコ「綺麗だろう 案内するよ」

中田「お客さんはどのくらい入るのですか?」

ジーコ「今は7万人くらいかな。皆がここでプレーをしたがるんだ。昔ここで試合をした時は、15万人以上の観客が来たんだ。」

中田「15万人!?」

 

 

かつてのマラカナンは、20万人を収容する世界最大のスタジアムだった。

世界基準にあわせ客席は減ったが、今もブラジルサッカーの聖地で在り続けている。

 

 

ジーコはマラカナンを本拠地とするチーム・フラメンゴのストライカーだった。

このスタジアムでの生涯得点記録は、未だ破られていない。

 

 

このスタジアムにあるジーコの銅像には、現役時代の愛称がある。

“痩せっぽちの鶏(ジーコの愛称)”

 

 

中田「(現役時代の細く、逞しいジーコ姿を再現した銅像をみて)今のジーコには全く見えませんけどね。今のジーコの半分ぐらいしかない」

 

中田「あなたの息子みたいですね」

ジーコ「若かったからね」

中田「こんなに細かったんですか?」

ジーコ「ああ 細かったね。当時の体重を知っているかい?当時は69キロだったよ」

中田「69キロ!?」

 

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ブラジルの英雄が案内してくれた。

観光名勝にもなっているマラカナン。

 

実際に選手たちが使うロッカールーム。

公開中は、ブラジル代表チームのユニフォームがディスプレイされる。

 

 

中田「スタジアムの雰囲気は違いますか?昔のスタジアムとの違いを話していて『新しくはなったけど、昔の方が良かった』って話を色んな人がしていたから…」

ジーコ「多くの人がそう言っているね。まぁブラジル人は昔が良かったって口癖のような人が多いから。だけど、少しずつ慣れていくと思うよ。サポーターも新しいマラカナンが気に入ると思う。コンパクトになった分だけ、選手をより近くに感じられるからね。」

中田「ここがブラジルで言う国立競技場?」

ジーコ「そうだね 国立競技場だ。陸上トラックの無い国立競技場だね。」

ジーコ「ここはブラジルサッカーの聖地と言える場所だ。」

 

 

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ブラジルサッカーの聖地が完成したのは、1950年。

はじめてブラジルでワールドカップが開催された年だった。

 

ジーコ「1950年 父は試合を見にマラカナンへ行った。父の人生で一番悲しかった日だと、小さい頃は何度も聞かされたよ。」

 

それは、ブラジルサッカー史上、最大の悲しみ。

“マラカナンの悲劇”と呼ばれていた。

 

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1950年 ワールドカップは、4大会目にして、はじめてブラジルで開催された。

が、それ以降、64年間。ブラジルは重い十字架を背負っている。

 

ジーコ「1950年のワールドカップは生まれる前だから詳しくは分からない」

中田「生まれてたかと思った(笑)」

ジーコ「でも 父は試合を見にマラカナンへ行ったんだ。父の人生で一番悲しかった日だと、小さい頃は何度も聞かされたよ。」

 

 

ワールドカップ ブラジル大会

初優勝を自国開催で決めたいブラジルは、圧倒的な強さで勝ち進む。

残り1試合。引き分けでも優勝だった。

 

 

勝利を疑わなかったブラジル国民は、

歴史的瞬間をみようとマラカナンに押し掛けた。

 

 

迎えたウルグアイ戦。

20万の観衆に後押しされ、ブラジル1点先制。

誰もが勝利を確信した、その時だった。

 

同点ゴール。

さらにその13分後、2点目を失い、逆転負けを喫する。

20万人が入ったスタジアムは静まり返り、2人が自殺。2人がショック死する事態となる。

 

世にいう「マラカナンの悲劇」

ブラジルサッカー史上、最悪の屈辱だった。

 

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当時を知る関係者を訪ねる。

サッカー解説者として活躍したH.テシェイラさん(81)。

ジーコとも親交がある。

 

マラカナンの悲劇を著書にも残している。

 

テシェイラ「出口に向かう行列は、まるで葬儀の参列者の様でした。火が上がり、当時の市長の銅像が割られていたのを覚えています。」

テシェイラ「マラカナンスタジアムは、いつでもあの敗戦の象徴だったね。」

 

あの日、現場に居たという男性が興味深い話を聞かせてくれた。

 

「当時ブラジルは白いユニフォームだった。あのユニフォームは縁起が悪いと思ったんだろうね、ブラジルサッカー連盟がユニフォームのコンクールを開催して、今の黄色を基調にしたものに変えたんだ。」

 

なんとブラジルチームのイメージカラー「カナリア イエロー」には、マラカナンの悲劇を二度と繰り返さないという祈りが込められていた。

 

 

ジーコ「試合が終わった後はまるで、1分間の黙とうをしている様だったそうだ。私の父は、その後10年間は『マラカナンに行きたくない』と言っていたよ」

中田「その後、何回もブラジルは優勝しましたけど、その優勝があっても、マラカナンで優勝出来なかったことが大きい?」

ジーコ「そうだよ マラカナンで優勝しなきゃ!イタリアはイタリア大会で優勝した。ドイツはドイツ大会で。アルゼンチン ウルグアイ フランス 競合は皆、自国開催で優勝している。後はブラジルだけなんだ!!」

中田「確かに 皆 自国開催で優勝しているんだ」

ジーコ「そう ブラジル以外はね」

中田「それは考えてなかった」

ジーコ「ここで優勝したいんだ」

 

 

中田「今の代表はどうですか?」

ジーコ「とても良くやっていると思うよ。今のブラジル代表は黄金世代と言っていいほど、若くて才能のある素晴らしい選手がたくさんいる。ネイマール、オスカル、フッキ、バウリーニョ・・・みんなヨーロッパで成功しいている選手だ。彼らの経験がブラジル代表の大きな力となっている。今のレベルを保っていけば、間違いなくワールドカップの優勝候補だろうね。」

 

 

ブラジルの主砲ネイマール。

彼を中心とする現在の代表は、最高のセレソン「選抜」と言われる。

 

去年のコンフェデレーションズカップ 決勝の舞台は聖地・マラカナンだった。

 

最強のセレソンは、64年前の呪縛を断ち切り、スペインに大差をつけて優勝。国民の期待は、最高潮に達している。

 

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がぜん注目されるサッカー王国。

中田にとっても浅からぬ因縁がある。

 

18年前、日本はオリンピックでブラジルに勝った。

 

中田はこの時19歳ながら、その実力を買われ、代表として活躍。

つまり、ブラジル戦がスターとしてのお披露目となった。

 

 

2002年 ブラジルの英雄が日本代表の監督になる。

ジーコは、一貫して選手に自分で考え、イマジネーションするサッカーを求めた。

 

その考えをもっとも理解したのが、中田であり、彼はジーコ・ジャパンに欠くことの出来ない存在となっていく。

 

 

2006年 ワールドカップドイツ大会は、監督 ジーコ、選手 中田、それぞれの集大成となった。

 

日本の最終戦 相手はまたもブラジルだった。

 

 

完敗。

天を仰いだあの夏。ジーコもまた日本を去った。

 

 

運命を共有した指揮官と司令塔は、今の日本代表に何を思うのか?

 

 

ジーコ「日本はワールドカップで勝利するために必要なものを持っていると思う。私が監督をしていた頃に海外経験がある選手は、中田 稲本 小野 中村くらいだった。今の日本代表はヨーロッパで出場機会に恵まれている選手ばかりだ。」

ジーコ「サッカー選手にとって一番大切なのは試合に出ること。クラブで出場機会に恵まれていれば、良いコンディションで代表に合流出来る。」

ジーコ「日本はベスト8に入る可能性があると思うね。」

中田「ベスト8以上に行くには何が必要ですか?」

ジーコ「試合の中で心理的に優位に立てれば、相手を上回ることが出来ると思う。」

中田「今、ジーコが言った通りに、技術にしても体力にしても、レベルは上がってきているけれど、選手の経験だったり、試合運びというところが非常に(世界と)差があるのかなと。」

中田「自分達が試合をコントロールする。相手にやらされるんじゃなくて、自分たちがリズムを作っていくことが出来れば良いんじゃないかなと。日本にもチャンスがあるのかなと。」

ジーコ「もちろん日本にチャンスはあるよ」

 

 

開幕までおよそ5か月。

ナショナルチームの真価が問われる。

 

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サッカーの世界でもっとも大切な祭典が、サッカー王国ではじまる。

そのことで沸き立つこの国には、見過ごすことの出来ない大きな問題がある。

 

~ 経済格差問題 ~

 

山に囲まれ、海に望むリオデジャネイロ。

海岸線には高層マンションが立ち並び、経済発展は著しい。

繁華街は活気と光に満ちていた。

 

一方、市街地を見下ろす山肌に、へばりつく様に建つ家々がある。

スタジアムのあるマラカナン区にも、そういった地区があった。

 

中田「あの辺りは?」

ジーコ「マンゲイラという場所さ。スラム街だよ。リオデジャネイロでも貧しい地域だ。」

中田「今でも?」

ジーコ「あぁ」

 

貧困層が済むスラム街。ブラジルでは“ファヴェーラ”と呼ばれる。

迷路のような路地をはさみ、寄りかかるように家々があった。

 

 

実は、ブラジル国民の半分が、平均所得の半分にも満たない貧しい暮らしを強いられている。

この国の現実。

 

 

ファヴェーラのこども達は、そこかしこでサッカーに興じている。

ビーチサンダルをゴールに見立てて、熱く焼けたアスファルトを裸足で駆ける。

 

が、スポーツをしているのとは、少し違う。

彼らは、サッカーという希望を掴もうとしていた。

 

少年「サッカー選手になりたい」

少年「僕も」

少年「サッカー選手になったら家族を守れるから。お母さんをもっと良いところに住ませてあげたい、兄弟や家族皆をね。」

 

ブラジルにおいてサッカーは、貧困から抜け出す、数少ない手立てだ。

ハングリー精神こそが、王国の礎となっている。

 

 

成功し、大きな富を得た選手たちは、皆 祖国への恩返しを忘れない。

そんなスターに憧れ、貧困の中から、次なる才能が芽吹いてくる。

 

ジーコも毎年、貧困撲滅をうたい、チャリティーマッチを開催。

母国の力になってきた。

 

 

海外の選手を多く見てきた中田も、サッカーの力を信じ、チャリティー活動を続けている。

 

中田「ブラジルの選手たちは、自分たちがサッカーで救われたということで、チャリティーで世間へ戻していこうという考えが選手自体に結構あるんですかね。」

ジーコ「そうだと思うよ。サッカーへの感謝の表れだね。」

中田「ブラジルではサッカーと市民が凄く近いなぁと思う。チャリティーマッチがよく行われているし、ジーコは特にそれを長くやっているし、日本と文化の違いがまだあるのかなって思いますね。」

ジーコ「日本人は助け合いの心を持っている。きっとそういう試合は増えてくるよ。」

 

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翌日、マラカナンスタジアム。

ジーコ主催のチャリティーマッチが行われた。

 

元ブラジル代表のロマーリオ。レオナルドをはじめ、世界で名をはせた男たちが集まる。

中田もその一人だった。

 

ジーコ「中田、調子はどう?」

中田「膝の調子はどう?」

ジーコ「体中痛いところばかりだよ」

 

レオナルド「元気?元気?」

中田「久しぶりに会えて嬉しいよ」

 

 

スタジアムを埋めた6万の大観衆。

歓喜の中、先制ゴールを決めたのは、やはり英雄だった。

 

ジーコの活躍にマラカナンが湧く。

中田も現役時代を彷彿とさせるキラーパスで、チャンスを演出。

 

サッカーの前では、貧富の差など関係なかった。

 

中田「これだけのサポーターが来て、これだけの選手とやれる機会もそうないので、サッカーがあるからこその繋がりだと思うので、自分も見習ってもっともっと企画していきたい。」

 

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マラカナンでの芳醇な時間が終わろうとしている。

 

かつての指揮官は、かつての司令塔に聞いておきたいことがあった。

 

 

~ 2006年の記憶 ~

 

中田英寿、現役最後の試合となったブラジル戦。

中田が天を仰いだ、あの日のことだった。

 

ジーコ「ずっと気になっていたことがあって、2006年のワールドカップ ブラジル戦の前のロッカールームで、私に『これが現役最後の試合だ』と言ったよね。その時 何で私に一番に言うのかと思ったし、何で若いのに辞めるんだって思ったんだ。」

中田「僕が辞めるって伝えたのはジーコが初めての人で・・・当然僕らの関係は選手と監督だったけれど、それ以上に人間として、人生の先輩として、この人にだけは伝えておかなきゃいけないって」

中田「うーん なんでだろう ジーコにだけは言っておかなきゃって思ったんだよな」

中田「何より人間として信頼していたってことじゃないかな」

ジーコ「...アリガトウ」

 

 

ジーコ「君は常にプロ意識が高くて、日本のためにいつも全力だった。常に上を目指し、負けるとイラついていた。そんな君と友情を築けて嬉しいよ。」

中田「ありがとう。人生の親友と呼べる人が出来て、すごく嬉しい。これからもこういう関係が続くと思っている。ブラジルにもまた来るので、宜しくお願いします。」

ジーコ「その時はシャンパンと日本酒で乾杯だ!」

中田「あなたと同じ年のシャンパンを持ってくるよ」

 

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~ 8年越しの言葉 ~

 

長い時間を経たからこそ、交わすことのできた言葉がある。

同じ価値観で戦った者だからこそ、交わせなかった言葉がある。

 

今、マラカナンのピッチを静寂と夏の日差しが支配する。

中田は、何を感じ取ったのか?

 

中田「昔の古いスタジアムと雰囲気は違いますけれど、マラカナンはマラカナンかな。」

 

聖地はそのもっとも気高い姿をして、世界の代表達を待ち受けている。

 

 

 

※この文章は「炎の体育会TV 」特別企画HIDETOSHI NAKATA × ZICO の放送より抜粋したナレーション、対談をもとに構成しています。