2000.06.02

1999-2000セリエA

5月14日をもって終わった1999-2000セリエA。

今季は、非常にドラマティックと思われたセリエA1年目の1998-1999にも劣らない俺にとっては、ドラマティックなシーズンとなった。

 

ペルージャでの2年目。

監督はボスコフに代わってマッツォーネが就任した。

選手も何人かが出ていき、何人かが入ってきた。しかし中盤(俺、OLIVE、TEDESCO)には大きな変化はなく、これが俺にとっては非常に有利な材料となった。“有利な”というのは、彼らは俺の動き方を1年目で理解してくれていて、その上監督が、ボールが可能な限り俺を経由していくようなサッカーを目指してくれたことで、俺が実際にボールにさわる回数は非常に高く、これはプレイする者として、とっても楽しかった。

このシステムに、新しく入ってきた選手が上手くかみ合って、ペルージャの2年目は非常に良いスタートとなった。

そして、何よりも1年目との大きな違いは、すでにシーズン最初から、チームメイトの信頼が得られていたために、自分のスタイルが確立しやすかったということ!!

これによって、たとえマンマークが付こうが自分のサッカーが出来たと思う。チームの成績と共に、自分の成績も良かった。

チームとしての大きな違いは、アウェーでの勝率が格段に上がったこと!! 昨年は年間で1勝しか勝てなかったPERUGIAが、今年はいったい何勝あげたんだろうか? 俺がチームにいた半年でも、2、3勝はしたんじゃないだろうか? ただ、その分ホームでの負けが多くなったことは確かだが… ともかく、クリスマスまでのチームはすべてが順調に進んでいるように思えた。

 

年を明けて、俺のまわりが騒がしくなってきた。

ROMAへの移籍だ。年が明けたくらいから、毎日のように報道されるようになった。日本でも、イタリアでも… PERUGIAは年明けの試合から突然調子を崩す。2試合続けての0-5での負け。

俺の移籍騒ぎとチームの不調。

当初、俺の頭の中ではシーズン途中でのPERUGIAからの移籍など、全く考えられないことだった。

チーム、選手、そして街も俺は好きだったから…

チームを去るとしても、すべてがすっきりとした状態で去りたいという願いがあったからだ。

数多くの話し合いがもたれた。いろんな人にも相談をした。悩み、苦しみ、寝られない日もあった。そして、最終的な決断!! 移籍!!

 

前半戦最後となるJUVE戦2日前にして俺はROMAへ移籍した。

PERUGIAの選手、チーム関係者、街のみんな、彼らすべてへなんの挨拶もできないまま、取り急ぎ荷物を詰め込んだカバン1つを持ってROMAへと車を走らせた。

ROMAのHOTELに到着すると、ROMAのセンシ会長が、すでに作成された分厚いいくつもの契約書に、俺のサインを待っている状態だった。

次の日は、早々に朝からチームの練習に参加。ここでも新しいチームメイトにゆっくりと自己紹介をしている暇など無かった。次々に迫り来るマスコミ攻勢。2日後に迎えるVERONA戦への準備…

 

この日を境に俺は、肉体的に、精神的に非常に大変な時期が続いた。

 

新たなポジション、新しい仲間達、新しいチーム、チームスタッフ、新しい街。

しかもそれらすべてが、PERUGIAとは比べモノにならないくらい大きかった。

 

新しいポジション、そしてチームになかなか慣れない日々が続いた。

新居もすぐには決まらず、落ち着ける日はなかった。

しかもROMAはパパラッチの巣窟。

気軽に街へ外出することなど、俺にとっては許されるはずもなかった。

 

しかし、そんな最悪の状況を変えてくれたのが、皮肉にもなんとPERUGIAでの試合だった。

慣れ親しんだ街、慣れ親しんだ仲間達、そして、慣れ親しんだグラウンド。

これらすべてが俺の味方だった。

PERUGIAとの試合を境に、俺のプレーは変わっていった。ようやく自信を取り戻したと言っても良いのではないだろうか。

 

そして、勝てば優勝が見えてくる大一番、JUVE戦。この時点でROMAとJUVEの差は、5ポイントだった。勝てば2ポイント、負ければ8ポイント。

天国と地獄の差。チームは序盤から良い展開でJUVEに襲いかかる。先制点を許すモノの、こちらも負けずに得点。1-1。そして退場。

前半を終わって、“ホッ”としてしまったのだろうか、後半開始早々のJUVEの得点。

確かに普段だったら入るとは考えられないようなモノだった。しかし、それがサッカー、それが強さでもある。結局ROMAはこのあと10人のJUVEを攻めきれず、優勝という夢に幕を閉じた。

 

この日から、結果的には結局最後まで続いたんだけど、長く厳しい道のりが始まった。

チームは急下降、得点出来ない、勝てない。

チーム状況にシンクロするかのように、俺の調子も上がることはなかった。

数える試合を除いては…

 

そして5月14日、1999-2000シーズンが幕を閉じた。優勝は最高JUVEから9ポイント離されても最後の最後まで諦めなかったLAZIO。

JUVEが、最終戦のPERUGIAにさえ勝てば、文句なしの優勝だったのにも関わらず、2年連続敵チームの胴上げは見たくないというPERUGIAが、最後の最後に意地を見せつけた格好になった。

そして結局ROMAは、チャンピオンズリーグ(出場権利は4位以内)も逃し、UEFA出場の6位にとどまった。

 

俺の成績は、1年目の10点のちょうど半分の5得点(リーグ戦)。まあ、アシストは1年目よりも多かったと思うが、アシストは公式記録にないため分からない。

今シーズン、PERUGIAでは、1年目で得た自信をよりいっそう深めることが出来た。

そして、ROMAではBIG6とも7とも言われるチームでしか得られない、良い意味でも悪い意味でも“経験”というモノを得た。

 

慣れ親しんだ街とチームとの別れ、シーズン途中での移籍、BIGチームの環境&プレッシャー、良いときも、そして悪いときももちろんあった。

確かにROMAではPERUGIAにいた頃の際だった活躍は見られなかったかもしれない。

しかし、俺はそれらすべてが自分の糧になったと信じ、来年の活躍を信じたい!!

 

次の年はどうなるだろう?

基本的にはROMAの一員として、イタリアでの3年目を迎えることになるだろう。

こんな事を書くと、またマスコミの餌食になるかもしれないが、ともかく、どこでどのような形で次の年を迎えようとも、自分を信じ、さらなる躍進を目指して頑張りたいと思う。

 

それまでは、しばしの充電(笑)。みんなもしっかりと充電してね!!

 

最後に、今シーズンも1年間応援ありがとう(してないよ、なんて言わないでね・笑)!!

また来シーズン、一緒に頑張りましょう!!

 

モロッコのRABATより