2010.11.27
長野日記 中篇
3日目の朝は6時出発で軽井沢の「白糸の滝」へ。何の予習もなく行った僕、これが自然の成し得る技か!と驚かされた。早朝でかなり冷え込んでいたのだけど、その滝を目前にするとそこのマイナスイオンに満ちた空気がジワッと体に染み込んで来るようでとても気持ちがよかった。
車に乗り込み、「いやー、やっぱり自然はすごいね!」「そうですね!」などと興奮気味に話す僕と大島ディレクター。すると後ろでパソコンに目を落としていたヒデさんがボソっと呟く。
「あ、人工らしいよ…。」
そこから次は中野市へ40kmを移動し、信州味噌の「芋川糀店」を訪問。こちら、以前は糀屋として営業されていたとの事だけど、家庭で味噌を造らなくなるにつれて糀の需要が減って来た事から味噌造り専門店になったのだという。
「僕はパンを食べてても、味噌汁が飲みたくなるほど好きです。」というヒデさん。
しかし味噌と米の売上は比例するらしく、昨今では朝食にパンという具合にお米を食べなくなってきている事から、味噌業界も厳しいという。
最後に10割糀や15割糀などの味噌汁を試食させて頂いたのだけど、「やはり朝は味噌汁だなぁ…」と、温まった体をしみじみと感じた。
そして僕らは飯山市の米農家、鈴木和夫さんのお宅へ。鈴木さんは外食が嫌い、という訳ではないのだそうだけど、「自分で作ってますから、お米だけは他所で食べても美味しいとは思えません(笑)」とおっしゃる。
自分で作る料理でもそうなのだから、自分で作った“食材”となるとどれほど美味しく感じるのだろうかと考えた。
米作りに於いては、「きちんとした苗を植える事」が一番大切との事なのだけど、苗作りはその年の天候次第で伸び過ぎたりするらしく、水をあげて調整したりで結構大変だという。「子育てのようなものです。」と笑っていらしたのだけど、やはりというか、農家の仕事とは「子育て」と比較出来るほどに大変なのだ。
帰り際にヒデさんが「近々友人達と餅つきをしようと計画してるんですけど、自分が餅米を用意する当番なんですよ。」と雑談をした時の事。
「そうなんですか?私も自家用で作ってるのですが、結構評判が良いんですよ。」と鈴木さん。これに食いついたヒデさん、「是非買わせて下さい!」と直談判。すると鈴木さん、「いえいえ、是非持って行って下さい。」と、なんとお米を分けて下さった。これにはヒデさんも、「いやぁ、餅米ってどこでどうしたらいいのかわからなかったので、本当に助かります!」と満面の笑みだった。
それから僕らは長野を南下し、木曽町へ。曲げ物師村地忠太郎さんを訪問。93才になられる村地さんは、優しくつぶらな目と声のトーンが印象的で、ご高齢を全く感じさせない。「木曽の曲げ物は足利の時代から7、800年の歴史があると言われています。」と話される村地さんはどこか誇らしげで頼もしい。
村地さんのお父さんが100年ほど前に作られたというヒノキの作品を見せて頂いたのだけど、「これは春慶塗りですか?」とヒデさん。
「よう知ってるね?」と村地さんも驚いておられたのだけど、誰よりもヒデさん自身が知の深まりを体感しているのだろうと思う。
地下にある作業場にて実際に村地さんの仕事を見せて頂く。道具1 つで木を割る作業は、見ているだけでとても力の要る仕事だというのがわかる。途中、村地さんが指を切ってしまわれた。ヒデさんが「血出てますよ!?」と言っても「大丈夫、大丈夫。」と作業を続ける村地さん。気温は低く、相当に痛みはあったはずなのに、不謹慎だけどそんな村地さんの姿からは自分にはない、新鮮な“強さ”を感じてしまった。
*その後絆創膏を取りに階段をすたすたと上がって行かれた村地さん。足腰も強かった…。
4日目、朝は5時半に宿を出発。松本市から佐久市へ行く途中にビーナスラインという山道を通ったのだけど、この時、車の温度計に「−2℃」と出ている事に気付いた。マイナスを指すのは、旅では初めてなのだ。
途中、展望台のような場所があり、「降りてみようよ。」とヒデさんが言う。アスファルトは凍っていて、キラキラと光っている。助走をつけて止まるとスーっと滑れて、まるで氷上のようだった。
そこからの景色は、美しく敷き詰められた雲海を昇り始めた朝日が下から照らしていて、心から「早起きはいいなー!」と思わせてくれたのだった。
ヒデさんも気分を良くしたのか、独り言のように話し出した。
「岐阜もそうだけど、ここ長野も山に囲まれて水がきれい。文化も残っていて食べ物も美味しいし、旅行する人にはすごく良い所だな。」
まずは大澤酒造さんへ。
こちらでは猛暑によるお米への高温障害の話を聞いた。砕け易くなる、などの影響が酒米にも食米にも出るそうなのだけど、温暖化は色々な所で辛辣な問題となっているのだなと実感する。
それから次は「伴野酒造」さんへ。こちらでは地元ならではという話を聞く事が出来た。佐久は鯉料理がとても有名との事なのだけど、なんと、学校給食にも出るのだという。
非常に骨が多いらしいけど、子供達は大丈夫なのだろうか…。そしてヒデさんが長野市と松本市の関係を質問すると、「“長野びんずる”と“松本ぼんぼん”という祭りがあるのですが、わざと同じ日に開催しているんです。お互い意識してるんでしょうね…。」と苦笑いしながら話して下さった。
その後「和泉蔵商店」さんに寄ってから、農家の「ゆい自然農園」を訪問。ここ、ゆい自然農園は標高1000mの場所にあり、涼しい気候と昼夜の気温差などが、野菜作りに非常に適しているという。20年以上前から農薬、化学肥料を使用しない栽培へと転換されたらしいのだけど、やはり除草作業は大変なのだ。
お話を伺った奥さんの喜代子さんは、「最初の1年は本当に無収入で、キツかったです。けど、キツかったのはその1年だけですよ。」と笑いながら話される。
青汁の素となるケールなど、実に多品種を栽培されていると聞き、「休みも取れないんじゃないですか?」と質問する。
「休んだとしても、畑が気になるんです。だったら仕事してた方が良いです。もう、生活ですね。ただ肉体的ストレスは多少ありますが(笑)」
山形県出身の喜代子さんは、長野で農業を始める前に東京に住んでいた時、「生きる為のものをお金で買う」という事に対して急に不安を覚えたという。
この言葉には、その後も幾度となく考えさせられてしまった。
最後に「佐久の花酒造」さんに寄ってからこの日は終了したのだけど、11月というのに、日が暮れてからの気温は東京とは10℃近く差があるのではというくらいに冷え込んでいた。長野は、寒い。





