2011.11.29
埼玉日記 後編
5日目、まずは秩父の矢尾本店さんを訪問した後、かき氷専門店の阿左美冷蔵さんを訪問。かつての氷室を改装したというギャラリーにてお話を伺う。
宝登山の源流水を、小学校のプールほどの大きさの場所で自然に凍らせる。
「天然氷は、7日から10日かけて凍らせます。そうする事で天然の味を中に閉じ込める事が出来ます。製氷工場ではコスト的に考えて出来ない事なんです。」と話されるのは5代目の阿左美哲男さん。
氷を取れるチャンスは年を通して1月に1度しかないらしく、早い時期に取れれば2度取れる事もあるらしい。
「先代から日記をつけていますが、昔はマイナス15℃とかもしょっちゅうあったようです。ただ私の代になってからはマイナス10℃でさえごくたまにで…。」
自然を相手にしている事を考えると、全くもってのんきな話ではない。
隣接する、すごくレトロで、木造の暖かみのあるカフェへ移動。いよいよかき氷を試食する事に。いくつかある自家製シロップメニューから、蔵元秘伝みつなどを注文。しばらくして出て来たのは、見た目も含めて僕らの想像を遥かに超えるかき氷だった。
パクッと一口食べるヒデさん。
「おぉ、とけますねぇ… おぉ、すごいすごい…全然違う。」
カメラを回す大島と目を合わせる。ヒデさんがここまで驚く事もそうそうないからだ。僕も食べてみる。おぉ…確かにすごい…。これまで食べたかき氷とは比べ物にならないくらいの違いがある。
「これを食べたら、もう日本のかき氷は制覇したと思ってもらっていいです。」
と阿左美さん。なぜか、冷たいものを食べた時特有の鼻の裏にツーンと来る痛みもない。
「氷は自然にとけるくらいの、マイナス4℃とか5℃になるのを待ってから、かき氷にするんです。同じこの氷でも、マイナス15℃くらいで作るとツーンと来ますよ。」との事。
ヒデさんが、この仕事で一番大変な事はなんですか?と訊く。
「氷は上(水面)から下(水中)に成長します。仕事と言えば表面の掃除です。もう、まるで掃除夫です。」
ヒデさんが、「屋根はつけないんですか?」と聞き返すと、「私の手で美味しい氷を作るのが私の仕事と思ってますから。」と阿左美さん。
その言葉からは、強い信念を感じた。
それから僕らは、有機農業の先駆者と呼ばれる金子美登さんの霜里農場を訪問。
車で目的地に近づく。天気は曇りだけど、紅葉で色づいた山々に囲まれると、気分は不思議と晴れて来る。
金子さんの祖先は、代々300年前からこの土地で農家をやられているらしく、僕ら素人が思いつく野菜などはほとんど栽培されている。しかも、有機農業を始められてからもう実に40年が経つという。
ここで何より驚かされたのは、金子さん、トラクターや自家用車などの燃料を全て自給されている事。
「天ぷら油です。車両の改造が少し必要ですが、廃食用油をろ過すれば軽油の代わりになるんです。油は近所の豆腐屋さんとかレストランから貰ってます。」
3.11以降の燃料不足でも、こちらではほとんど影響がなかったらしい。
「石油はなくなっても農地があれば菜種で油を作れば良い。車はともかく、コンバインに乗れなくなったら食料自給率はもっと下がりますから。」
車両用燃料に限らず、家畜の糞や生ゴミなどを使ってバイオガスを自給し、料理用のガスはこれで賄えているという。食料のみならず…エネルギーまで自給されている…、もう、現代に於いては夢のような場所を実現されているのだ。
金子さんの印象を一言で表すとすれば、「優しい」だと思う。
ヒデさんと並んで畑を歩いていると、金子さんにとても懐いている子牛が嬉しそうに柵際まで駆け寄ってきた。この牛が人間の姿をしていれば、もう親子としか思えないような、そんな見えない繋がりを感じてしまった。
食料とエネルギーの自給は、素晴らしい事だけど決して楽ではない。それを実現するには、金子さんの根本にあるような周りや環境を思いやる優しさが不可欠なのだと思えた。こんな場所がもっと増えたら…そう思うと、将来もそう悲観的でもないのかも知れない。
それから次は釜師の2代目長野垤志さんと3代目候補の長野新さんを訪問。
とても落ち着きのある茶室にて、作品を見せて頂きながら桃山時代辺りからのお茶の歴史の流れを聞かせて頂く。何事もそうだと思うのだけど、歴史を知る事で初めてその面白さというがわかる。長野垤志さんは大学で講師をされていた事があるとの事。
「話が通じないんですね…、ここへ連れてきても、畳を久々見たとか言ってまして、もう生活様式が完全に違ってるんですね。それを批判しても仕方ないですし、あぁ、これはもう若い講師に任せた方がいいなと思いました。」と笑って話される。
新さんが「御茶、一服点てましょうか?」とご提案下さる。お2人の佇まいや所作には、本当に無駄がなくて美しいのだけど、全ては御茶の世界から直接通じて来ているのだと思う。
イサム・ノグチが好きで、なんとかそれを釜に投影しようとしたという垤志さん。
「自由がないという訳ではありませんが、あくまでお茶の道具なので他とのバランスを考えないといけないんです。」
そう苦笑いしながら話される垤志さんは、制約がある中で如何に自分の色を出して行くか、という事を楽しんでいるように僕には思えた。
ここでも、新さんから新しい世代の作家の思いを聞く事が出来た。
「どんな時代も、その時の良い、合ったデザインがありますよね。平成にも平成の、現代に合っている物があってもいいと思います。」
こういう話を聞く度に思うのだけど、これから、という作家さんの言葉を聞けるのは本当に貴重だし、それはこの旅でしか聞けないものなのだ。
そして埼玉最終日、まずは和紙の久保製紙さん、麻原酒造さんと訪問してから、草加煎餅のいけだ屋さんへ。煎餅が大好きなヒデさん、「なんか煎餅作り体験できるらしいよ。」とどこかウキウキしている。
5代目の池田彰さんに話を聞きながらその製造現場を見せて頂くと、工場内にはすでに煎餅に塗るタレの香りが…。
その後でヒデさんも楽しみにしていた手焼き体験をしたのだけど、自分で焼いた煎餅は格別だったのか、ご満悦の表情を浮かべていた。
今回こうして秩父や長瀞方面、群馬や長野との県境まで行くと、そこはもう僕が言っていた埼玉県ではなかった。東京とは気温も違えば、想像以上の自然もある
。灯台下暗しとはまさにこの事だと痛感した。そして若い作家の言葉に、これまで感じなかった興味を感じるようになった事も嬉しい発見の一つで、これからの旅がより一層楽しみになってきた。
次は栃木へ行く。


