2010.09.22

岐阜日記 中編

3日目、まずは土岐市にて陶芸家の林恭助さんを訪問。
ヒデさんが代表理事を勤めるTAKE ACTION FOUNDATIONが日本の伝統工芸の技術支援のために活動しているREVALUE NIPPON PROJECTにも林さんにはご協力頂いているとの事で、ヒデさんとも既に知っている仲だった。

林さんのご自宅は高台にある、とても気持ちの良い場所。美しく整えられたお庭を抜けて、中へ。通された座敷はどこかセンスを感じさせる。もう9月も半ばを過ぎているというのに、窓の外にはこれでもかとばかりに「夏」が広がっていた。
地域の話になった時に林さんが何気に話された事に驚く。
「この辺りは尾張になるのですが、信長、秀吉、家康が出た土地なんです。」
歴史が苦手な僕は思わず「へぇー!」と声を出してしまった。これも常識なのだろうかと牧ディレクターの顔をすかさず伺ってみると、そこには目を丸くして驚いている彼がいたのでなぜかホッとさせられた。
奥の工房を見せてもらうと、ろくろが2台並んでいる。奥さんも焼き物をやられるとの事なのだけど、「一緒にろくろを回す事はほとんどありません。やる時は時間差で一緒にならないようにしています(笑)」と奥さん。仲の良さそうなお2人だけに、なんともその話が面白く思えたのだった。

 

 

そこから僕らは林さんの案内で人間国宝である加藤孝造さんを訪問。
この道の途中、前を走る林さんの車のナンバーにハッと気がついた。
「696・・・あ、ろくろだ。」
降りてから確認すると、「気付いてくれました!?嬉しいです!」と奥さん。
実はまじめそうな林さんの見た目からは想像つかないほど、大のダジャレ好きとの事で、人は見かけによらないもんだなぁと変に納得させられたのだった。
 
加藤孝造さんは林さんの先生で、林さんは到着前からえらく緊張しておられた。
いざお会いしてみると、とても落ち着いた感じの、物腰の柔らかい方だった。
ただ、ヒデさんとの話の中にはその落ち着いた口調からは予想出来ないような「興奮」や「ハッスル」といった単語が聞こえて来たのだけど、きっと内には情熱を秘めた方なのだろうと察した。ここでも記憶に残った話がある。
「人間が初めて水を飲んだ時、両手で水をすくって飲んだと思うんです。器もそう持って飲める物が一番しっくりくるのではないでしょうか。」
僕も器を持つ時は両手で包むように持つのだけど、それは確かに水をすくう時と同じだと気付いた。そしてもうひとつ。
「ろくろを回す時に無心になるという人が多いですが、私は色々と考えてしまいます。あの人はどうしてるかなとか、あそこに電話しなきゃだとか。」

これを聞いて、なぜか僕はホッとしたのだ。

 

 

それから僕らは美濃和紙の市原達雄さんを訪問。
市原さん、なんと言ってもお元気、そして美濃和紙に対する愛情がものすごい。というよりも、そうでなければ仕事が務まらないのだという。たまにテレビなどで見たという若者が修行に来たりもするらしいが、志半ばでやめて行く人が多いとの事。僕らが着いたのは昼の14時くらいだったのだけど、この日も市原さんは朝の7時20分に来て、まだお昼も食べてないとの事だった。
市原さんは17才の時からこの道に入られてもう60年が経つそうで、「これまでにもやめたい時はあったんだけど、やめてたらもう死んでたと思います。欲がなくなると人間はダメだからね。」と笑って話されるその姿からは、まだ若い僕らにも元気をもらえた気がした。

 

 

この日最後の訪問先は陶芸作家の中島晴美さん
家に到着すると、庭にはいくつもの奇抜な作品が並んでいる。
ここで中島さんがヒデさんに「国際人とはどういう人だと思われますか?」と質問された。ヒデさんは一瞬の沈黙の後、こう答えた。
「外国の人に、自分の国の事がきちんと話せる人ではないでしょうか。」
これには人それぞれの考え方があるはずで、きっと決まった答えというものはないのだと思う。ただこのヒデさんの答えを聞いて思ったのは、外国の言葉が話せたりとかコミュニケーション能力があるというのはきっとオプションでしかなくて、まずはベースとして自分の国の事をきちんと知る事が「国際人」と呼ばれる人の最低条件なのではないだろうか、という事だった。
と、そんな事をマジメに考えていると、こんなとこでも信楽焼の狸の置物を発見。
何か共通するものでも感じたのか、視線の先にはマジメに仕事をする牧がいた。

 

 

4日目、朝から正法寺にて「正法寺(岐阜大仏)」を見た後、郡上市へ郡上本染めの「渡辺染物店」を訪問。
ここ郡上八幡は小京都と言われるだけあり、街並がとてもきれい。
大正時代までここ八幡町には藍染めの店が17軒あったそうなのだけど、化学染料の普及により今ではこの渡辺さんのお店のみになったとの事。
こちらの藍色、これまで見たものよりも濃い印象を受けたのだけど、それは使い込んだ時に本当の藍色になるように、との事からなのだそう。
取材中、近所のおじさんが来られた時の事、「こないだ頼んだあれだけど、3時までに出来るかい?」との問いかけに、渡辺さんが「大丈夫です!」とものすごく大きく元気な声で応えられた。
もう70も半ばの渡辺さんなのだけど、その返事にはお客様に対する尊敬とご自分の仕事に対する責任が溢れていた。

 

 

その後僕らは更に北上し、高山市へと入る。時間はお昼時、丁度お腹も空いた頃だし、ヒデさんが調べていた「飛騨牛カレーハウス」へ。
カウンターだけの小さなお店だったのだけど、「豆腐か?」と間違うほどの飛騨牛の柔らかさと予想以上の美味しさにヒデさんも興奮。「これはお取り寄せ候補だな。」とご満悦だった。

お腹を満たした僕らは同じ高山市の飛騨春慶の塗師である熊崎信行さんを訪ねた。飛騨春慶とは、一言で言えば漆器なのだけど、木地を美しく出せる木地師と、その木目がよく見える透けた漆を塗る塗師の共同作業により生まれるもの。
作業場に入ると、あの漆の独特の香りがスーっと体に入って来る。
平な面のみならず、角の方にも満遍なく塗るのはとても難しそうに見えるのだけど、塗った後にゴミを筆で取るのが時間もかかり、一番大変との事だった。ヒデさんも塗りの体験をさせてもらったのだけど、かなり苦戦を強いられていた…。

 

 

岐阜後編へ続く

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。