2010.09.06

富山日記中編

初日からいた高橋カメラマンとライターの川上さんはここで東京へ帰るとの事。翌日は楽しくも体力勝負が予想される雄山への登山を控えていたため、僕らは「明日一緒に山に登りましょうよ!」と説得していたのだけど…。

「いや、本当に山登りしたかったんだけどさ、本当ごめん!申し訳ない!」
そう言った川上さんの顔は全く申し訳なさそうにはしてなくて、それどころか白い歯が覗いている。登山回避で、嬉しそうだ。

翌日、腹を括った僕らは5時半過ぎには宿を出て、前立社壇へ。
雄山神社とは、峰本社、中宮祈願殿、前立社壇の3社をもって雄山神社とされる。峰本社は雄山の頂上にあるので、僕らはその前に他の2ヶ所をまわった。
前立社壇にて今回ご案内頂く前田さんと合流。完全な登山スタイルだ。
登山口のある室堂は、標高2450mの所にある為にそこまでは車で移動。
近づくにつれて窓からはヒンヤリとした澄んだ空気が車内に入り込んで来る。外の景色は薬用効果でもあるのかと思えるほどに僕らの気分を良くしてくれた。

 

 

いざ登山、という時に、前田さんが前方にそびえる山の頂上を指差しながら言う。
「あの上の方、見えますか?四角い建物のようなものがあるでしょう?あそこまで行きますから。2時間はかかります。片道で。」
見るからに、高い所にその建物は“なんとなく”見えていた。
ゴールが見えているのは良い事なのか悪い事なのかわからないくらい、そのゴールは遠く感じられたのだった。

今回は無類の鳥好きである、大分で犬の“タマ”に尻を噛まれた渡邊プロデューサーも参加していたのだけど、「これは…大変だ。」と上を見上げながら漏らしていた。

序盤は、そこそこ舗装されたなだらかな道を歩く。進んで行くと徐々に、急な階段や斜面が姿を現して来るのだけど、まだまだ道は舗装されている。
僕はヒデさん達よりちょっと早いペースで先を歩いた。後ろをついて行くのは結構疲れるのだ。
20分を過ぎた頃だったろうか、既に汗だくで息の上がっていた僕は、思ったよりも人が多かった事もあって大丈夫だろうかと足を止めて後ろを振り向いた。
1人で歩いているヒデさん。どうやら前田さんと大島、渡邊のスタッフチームはヒデさんのペースについて来られなくなったようだ。当然と言えば当然なのだけど…。
ヒデさんは僕に、「彼らにさ、急がなくていいですからって言っといてくれる?」と言い残して、どんどんと上へ登って行った。

 

 

道は途中にあった休憩所から、まさに崖道へと姿を変えた。
場所によっては岩に手をついて登らなければ危険を感じる事さえあった。ヒデさんの背中はもう声も届かない所にまで離れてしまっていたのだけど、この崖登り、奈良の大峰山の修験道登山よりも過酷と感じた。
大峰山の方が時間も距離もあるのだろうけどなだらかな道も多く、休み休み登れた気がする。ただここ、なだらかなのは序盤だけで、後はずっと坂道と崖の連続だ。
普通の登山者は休み休み登っているのだけど、我々はそうは行かない。僕は震える足を懸命に持ち上げながらこの崖を登り進んだ。大峰山の時と同様に、トートバッグを持っているのは僕以外にいなかった。

 

 

登山開始からちょうど1時間で、僕は頂上へと辿り着いた。
そこには沢山の人がいて、写真を撮っている人、深呼吸している人などがいた。
そんな人たちに紛れて、社務所の影にヒデさんがポツンといた。
珍しく、汗だくになっている。「お疲れっす…」と声をかけると、
「けっっっこうスゴかった!」
とさすがのヒデさんもかなりキツかったようだ。ただ、とても気持ち良さそうに見える。なんでこう気持ち良さそうにしてるのかと思いつつ、目の前に広がる絶景に気付いた時、心の底から「すごい…」と思えたのだった。

 

 

程なくして前田さんと大島、渡邊さんも登頂。峰本社にて神職の方に祝詞(のりと)を奏上して頂いた。

 

 

下山の最中、「いやぁ、にしても降りる時は楽しいですねぇ。」などと話していると、渡邊さんが「あ、しっ!」と人差し指を口元に当てて僕を睨む。
ササッとポケットからカメラを取り出し、何やら写真におさめている・・・。
「(あれ、野鳥界のアイドルなんです!)」と前方を指差しながら小声で囁く彼。
「は、はぁ。」と答えるしかなかった。

山を降りた僕らは次の訪問先である八尾和紙の工房、「桂樹舎」へ。
ここには製造所と、小学校を移築して造った和紙の展示館、「和紙文庫」がある。
和紙文庫にあるどこかお洒落なカフェスペースにて社長の吉田さんにお話を伺う。

 

 

工房を見せて頂くと、モダンな感じのするデザインの和紙があちこちにあるのが目につく。ヒデさんも物珍しそうにそれらを見て、「ランチョンマットなんかでこんなのあったら面白いですよね。こんな赤なら、白いお皿もすごく映えそうだし。」と吉田さんと話が弾んでいた。

ここ八尾町と言えば初日に来た「おわら 風の盆」祭りの場所。吉田さん曰く、「今日は祭りの翌日なので従業員が結構休んでるんです。会社自体も3日間休みにしたんですけどね。」との事。
吉田さん自身も三味線を、職人の女の子の旦那さんも胡弓を弾かれるそうで、改めて祭りの文化が根付いた場所なのだな、と思わされた。

 

 

4日目、朝から大佛寺にある高岡大仏を見て、瑞龍寺へ。
ここ、入ってすぐに、「あ、東大寺だ…」と思ったのだけど、境内には見事に整備された芝生が広がっていた。
副住職の四津谷(よつや)さんにご案内頂いたのだけど、この方、とにかく歴史の事を良く知っておられる。
「石田光成が当時…」とか「上杉謙信もですが…」とか、「直江兼続なんかは…」だったり「徳川家にしましても…」という具合だ。
極めつけは「家康公は159cmくらいの背丈でしたので…」とまるで昔の友達の話を聞いているような錯覚に陥ってしまった。
この方の話はとても興味深い。なぜなら四津谷さんの話は歴史を勉強しただけではなく、資料や文献にある事実から「だからこうなったのではないか…」という独自の推察があったからだ。
ヒデさんもこの旅でかなり歴史通にはなって来ているのだけど、帰りの車ではさすがに「それにしてもよく知ってたなぁ(笑)」と驚いていたほどだ。

 

 

富山日記後編へつづく。

 

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。