2010.08.04

石川日記前編

福井から北陸に入った僕らは石川へ。
ヒデさん、金沢市にある金沢21世紀美術館の秋元館長とは財団の仕事などでとても仲が良く、既に何度もこちらの方には来ているとの事。
「ここはやっぱり、寿司が美味いんだよね。寿司も食べに行くか!」
着いてすぐに、一瞬ヒデさんが仏様に見えるような発言が飛び出す。
心の中で歓喜の声を上げる僕。隣では牧が「お、いいですねぇ。」とふくよかな恵比寿顔をほころばせていた。
 
石川県は広い。日本海にせり出す能登半島の先までは、金沢市からだと2時間半ほど。有料道路もある程度整備されているので、そうゆっくり走る訳ではないのだけど、移動に結構な時間がかかるのだ。
最初の訪問先は「鹿野酒造」の杜氏であり、能登杜氏の四天王の1人と言われる農口尚彦さん。
ちなみにこの能登杜氏四天王の方々は、酒造りの神様といわれており、もう何十もの酒造をまわって来たヒデさんの強い希望から、この訪問が実現したのだ。今回、僕らは四天王のうち、3人の方々を訪問する。
 
夏のこの時期には酒造りは行われていない為、その間は鹿野酒造のある加賀を離れてご自宅のある能登にて農業をされているとの事。
1年の半分を「酒」、もう半分を「農」、という生活をもう何十年も続けておられる。
実は農口さんとは以前ヒデさんと鹿野酒造を訪れた際にお会いしていた。
小麦色に焼けた肌に、ヒデさんが細く見えるほどガッチリした体をしておられるのだけど、くりっとした瞳が農口さんの人柄を何よりも物語っていた。
 
もう長く続けてこられた酒造りへのこだわりや業界の現状など、色々なお話を伺ったのだけど、何より驚いたのは80才間近の今でも、こちらに戻られている時は毎朝1時間半の運動、昼はサウナと水風呂というのを欠かさないというお話だった。
なるほど、と思った。酒造りも農業もとてもハードな仕事なのだ。基本的な体のケアなくして、この年齢までこれらの仕事を続ける事など不可能なのだろう。

その後、能登から東へ移動。輪島市にある白藤酒造店さんと中島酒造さんを続けて訪問。中島さんが杜氏としてデビューされた時の話。
「ある時、急に杜氏が来れないって事になって、けど、もう酒造りをスタートさせないといけないというのもあったのですが、電話で「お前、できるやろ?」と軽く言われまして…それが酒造りをした最初でした。ただ、土地柄もあり、知り合いの能登杜氏の方々がちょくちょく見に来てくれたんです。それはもう、心強かったですね。」
あぁ、こういう話っていいな、と素直に思った。
例えば、一般社会で忙しい中で新人などの面倒を見たりするのは、正直大変だし、疲れる…。
まして、自分の会社とは別の所の人なんて…と思うと、信じられないような話に思えて来た。
蔵は違えど、「酒造り」という名の下にある絆のような繋がりが、とても魅力的に映ったのだった。

2日目は早朝からまた輪島市への50kmの道を戻る。
右側に日本海を眺めながら海沿いの道をドライブ。快晴という訳ではなく、雲の多い空だったのだけど、海はやっぱり人を特別な気分にさせてくれる。

通り道に「白米千枚田」という棚田があるという情報があった。
棚田好きのヒデさん、当然寄ろうという事に。これまで三重などでも棚田を見て来たのだけど、ここには驚いた。棚田が、まさに日本海を臨んでいるのだ。
季節は真夏、棚田は絵の具で塗ったばかりのような潤いある美しい緑色をしていて、それは海が霞んでしまうほどの光景だった。

ふとパタパタと風に揺れる旗に気付く。よく見るロゴが書いてあるのだけど、何か能登半島にはしっくり来ない。それもそのはず、その旗はヒデさんがプレーした唯一のJリーグのクラブ、湘南ベルマーレの旗だったのだ。
「なんでだろ??」とヒデさん。
もちろん僕らもわからない。ただ、旗は一本ではなく、何本も揺れはためいていた。その旗と棚田の緑のコンビネーションに入りこんだヒデさんを見ると、何か懐かしく感じてしまった。

白米千枚田を出た僕らは引き続き輪島市を目指し、次の目的地である總持寺祖院を訪問。
ここもまた、しっかりと手入れのされた庭園があり、先ほど行った棚田に続いて心が洗われるような気分になる。
まぁ、気分になるだけではダメなのだけど…。

2007年に起きた能登半島地震の被害を受け、本堂の修復が行われていたのだけど、その衝撃はまるで爆弾が落とされたようなものだったという。
僕らは仏殿に案内され、ヒデさんはここで坐禅に挑戦。坐禅をする事により、心身を安定させ、真実の自分が見つかるとの事。
坐蒲(ざふ)と呼ばれる少し高さのある小さな座布団に座り、足を組む。僕らから見ると非常に姿勢の良いヒデさんだが、少しだけ背筋を正すよう言われていた。僕もその横で同じ姿勢をトライしてみたのだけど、すぐに背中がつりそうになる。
この時なんとなく、正しくする事や美しくする事には必ずなんらかの代償が付きまとうのだな、と感じたのだった。

 

石川日記中編1へつづく
 

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。