2010.05.27

京都日記前編

奈良から京都へ。
今でも日本の首都を直接定めた法令がないとやらで、今でも京都を首都だとする論が存在しているらしい。まぁ、行政府は1869年に完全に東京に移転しているらしいので、首都は東京で良いとは思うのだけど・・・。

実はヒデさんの仕事で既に京都市には何度か来ていた。
街はきれいに区画され、「烏丸御池(からすまおいけ)」や「祇園」、「先斗町(ぽんとちょう)」や「花見小路(はなみこうじ)」と言った雰囲気のある地名があちこちに見られる。
約146万人と福岡市とほぼ同じ人口を誇るにもかかわらず、街には高層ビルの数が非常に少ないと感じた。景観保護規制があるためだが、それを差し引いたとしても、福岡よりも落ち着いた印象を受ける。

最初の目的地、京都市は嵐山にある松尾大社へ。
ここは奈良の大神神社と並んで「酒造の神」として全国の蔵元から崇敬されているそうで、我々が酒造を訪問する度に目印にしている「杉玉」は、ここか大神神社から分けて貰っているものとの事だ。
九州からまわり始めた酒蔵巡りだけど、遂には神様の所まで来てしまったのだな・・・と少し感慨深くなってしまった。
 
その後、早速酒蔵をひとつ訪問し、緑寿庵清水という日本で唯一の金平糖の専門店を訪問。
そう大きくはない店内だけど、お客さんがひっきりなしに出入りしている。
女将さんにご説明を頂いた後、お店のすぐ裏で製造もしているとの事で見学をさせて頂く。ちなみに工房は女人禁制。
 
ガラス戸を押して中に入る。
ん?なんか暑いな・・・とおもう間もなく、皮膚からは汗が滲み出した。めちゃくちゃ暑い。聞くところによれば、真夏の工房は50℃近くにもなるという・・・。もう、砂漠と同じだ。
そこには直径役1,5mほどの回転釜が3つあり、それぞれで白、赤、青の金平糖がつくられていた。
作り方は、イラ粉というのを釜で回転させ、十分に温まったところに蜜をかけ、水分を蒸発させてはまた蜜をかける、というのを約2週間も繰り返すのだという。しかもこの「水分の蒸発」を見極める手段は、回転する釜の中で滑り落ちるイラ粉の「音」なのだという。もうこれは素人が聞いていても全く違いなどわかるはずがないのだけど、親方曰く「小学校に通うこちらの五代目君には、もう毎日のようにこの音を聞かせている」らしい。
それを聞いて、歴史や伝統を受け継ぐという事は生半可な事ではないのだな・・・と改めて認識させられた。と言うより、僕などとは人生が違い過ぎる・・・。
 

ちなみにこの日は、久々にムービーディレクターとして渡辺プロデューサーに同行頂いた。
そう、あの大分で犬に尻を噛まれたあの人だ。
室内の撮影で、動物もいない事もあり、背後を気にする事なく、しっかり物撮りしていました。


 
それから今度は狂言の茂山千五郎家を訪問。
今回の訪問は、元々ヒデさんと茂山逸平さんが知り合いという事で実現した。
家の2階に通されると、そこには広いお稽古場と思われる場所が。そこで茂山千五郎さんのお話を聞いたのだけど、何よりもまず驚く事、それは千五郎さんの声の張りだ。
 
狂言師はだいたい4才で初舞台に上がるそうだが、ともなると、この声の年季の入りようは半端ない。かれこれ60年は、声で仕事をされているようなものなのだ。
その声に関して話を向けると、「850人程度であればマイクなしでいける自信はあります。ただ1000人超えるとキツいですね。」とおっしゃる・・・800人でも900人でもなく、850人なのだ。
その後、千五郎さんのお父様であり、人間国宝の千作さんにも来て頂き、貴重なお話を聞く事が出来た。もう90才との事なのだけど、まだまだ現役でおられるという。
「座ったり立ったりがキツいですけども、舞台に出ればなぜか変わるんです。」
と笑顔で語られる。
 
その千作さんがヒデさんにこう質問された。
「それより、スポーツはずーっと走ったりで大変でしょう?」
するとヒデさん、
「いえいえ、走ったりするのはある意味、楽なんです。それより、狂言のようにゆっくりした動作の方が負担が高く、大変です。」
確かに・・・衰えに負けてたまるかと、たまに腹筋や腕立てをする時、勢いをつけて速くやると意外と回数も行く。ただゆっくり数えながらやると何倍もキツかったりするのを思い出した。
その後、実際に「棒縛」という演目を実演して頂いた。僕は狂言をしっかりと観劇したのは初めてだったのだけど、非常にわかり易くて、おかしくて、楽しめた。何より、演じている役者さん達の表情が一番楽しそうだったのが印象に残っている。


 
京都日記中編1へつづく

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。