2012.10.16

福島日記前編

旅はいよいよ東北へ。ここまで来ると、旅も終盤だな…と感じてしまい、どこか寂しさを覚えてしまう。もう4年目になるこの旅は、仕事という枠を遥かに越えているだけに、いつか終わりが来ると考えると、辛いのだ。
 
福島の旅、最初の訪問先は伊達市にある高橋もも園の高橋忠吉さん。気持ちの良い快晴に恵まれたこの日に来れて良かった、と思えるような、桃畑。笑顔が素敵で、素朴さの中にも陽気さがそっと伺えるような高橋さん。
高橋さんは自ら桃の品種の開発も行っているとの事。桃畑を歩いてみて、木になっている沢山の桃は、他の桃に比べて多少大きく感じた。高橋さんも当然、東日本大震災とそれに伴う原発事故の影響を受けたとの事だけど、お話からは、内に秘めた強い力を感じた。
「去年(2011年)はかなり影響されましたが、新しい事をやって行かないと、個人的には復興には繋がらないと思います。」
ではその為にはどうすればいいのか。高橋さんが続ける。
「海外にも売れるようになって、ひとつの産業になってくれると、桃の将来も明るいと思います。」
どんな分野にも新しい事が求められていて、それに応え続ける事はとても難しいのだと思う。ただ、高橋さんのようにそれを前向きに捉えられる事は、とても強いと感じた。
 

 
次の訪問先は三春張子職人である橋本彰一さん。三春駒は郡山市の伝統玩具なのだけど、日本で最初の年賀切手に採用されたほどのもの。橋本さんは2011年のREVALUE NIPPON PROJECTと、TAKE ACTION CHARITY GALAに参加して頂いていて、ヒデさんとも既に良く知る仲。
訪れた橋本さんのお店には、数々の作品が所狭しと並んでいた。お店のすぐ隣の工房では、数人の職人さん達が黙々と作業をしていた。
「6月頃からは、翌年の干支の人形制作でとても忙しくなります。全て手作りなので、大量生産は出来ません。」
ここではヒデさんも張子作りを体験。木型に濡れた和紙を貼付ける作業なのだけど、なかなか難しそう。ただ、実は手先が器用なヒデさんに、女性の職人さん達からは「すごい上手ですね…」との声も聞かれた。和紙にとても興味のあるヒデさん、「和紙がこんなに伸びるとは…本当に面白い素材ですよね…。」としみじみ。
 
「良くも悪くも、福島は有名になりました。けど、ピンチをチャンスに変えるじゃないけど、これを良い機会に、“こんなにも良いものがある!”とアピールして行きたいです。今はそれをモチベーションにしてやっています。」
と橋本さん。復興に関しても、こう話された。
「復興と言っても、正直どうすればいいのかわからない。けど私は張子職人。作品から何か伝えて行きたい。」
復興について、とても正直な気持ちを語って下さったのだと思う。そして続いて出た「けど私は張子職人。」という言葉が、とても誇らしげで、素直に格好良いなと思えた。
 

 
2日目、陶芸家の宗像利浩さんを訪問。ここ宗像窯では、創業当初から現在まで、土も釉薬(ゆうやく)も地元の厳選された原料を使用して作陶されている。そんな宗像さん、土についてこう話される。
「土は何を作るか、によります。何を作るかによって、ダメな土も最高なものになる事だってあります。」
アトリエの裏手にある登り窯へご案内頂く。
「これは…大きいですね!?」とヒデさん。なんでも、東日本大震災の影響で代々受け継がれてきた登り窯は崩れてしまったとの事で、見せて頂いたのは完成はもう少し先という、新しい登り窯だった。これほど大きなものは、そうそうないそうだ。
 
ヒデさんも手びねりでの作陶にトライ。宗像さん曰く、食事の時に器を手で持つという習慣は日本にしかないのだという。だから実際に自分がこの器で飲む姿を想像して作るよう意識する事が大切との事。
自分なりのやり方で作陶するヒデさんを見て、「私とやり方は違いますが、もう体得されてますね?」と宗像さん。
この言葉を聞いて、きっと土を触る事でしかわからない事があるのだとふと思った。今更なのだけど、ヒデさんの体験を見ながら、僕も陶芸をやってみたいなと思い始めて来た。
 

 
それから次は田村市にある玄葉本店さんを訪問。
この辺り、冬は相当に冷え込むらしく、「米洗いしてて、流れる水が凍ったりしてました…。」との事だけど、想像すら出来ない。
玄葉さんは元々東京にて商社に務められていたとの事だけど、海外転勤の直前にこちらへ戻られたのだという。
「同期は今モスクワにいたりして、嫁さんには悪い事したなって思います。」
と苦笑い気味に話されたのだけど、「いえ、私は東京生まれで田舎もなかったので、こっちがいいんです。」と奥さんがすかさずフォロー。外は寒かったのだけど、その思いやりに、とても温かい気持ちにさせられた。
 

その晩の民宿での事。10時過ぎに到着すると、リビングではおじいちゃんおばあちゃんが6、7人ほどで賑やかに宴会をされていた。すると僕を見るなりおじいちゃんから、「一杯飲んでけぇ。」とお誘いが。
素直に「では失礼します。」とご用意頂いた席に座り、一杯頂く。テーブルには秋刀魚の煮付けや大根の煮物などの地元料理が並んでいた。好き嫌いの多い僕が戸惑っていると、「土地の料理は、一口でいいからとにかく食べてみて下さい。」と隣のおばあちゃん。
たった今夕食を終えたばかりだったのだけど、秋刀魚の煮付けはとんでもなく美味だった。
 
実はその方達は、飯館村から避難して来て、“班”に分かれて近くの仮設住宅で暮らす方々だった。この日は、避難して以来、初めて集まった会だったとの事。
正直、皆さんの会話は方言が強く、僕は6割ほどしかわからなかったのだけど、お酒が進むに連れて、会話の端々からは現状へのやるせない思いがどうしても聞こえて来た。
そんな会話の中で、年長と思われるおじいちゃんが、「みんなで飲む酒はうめぇ」と、本当に嬉しそうに言ったあの言葉が、今でもずっと心に残っている。
 
福島日記中編1へつづく
 

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。