2010.03.18

和歌山日記

昔は「木の国」と言われていた程に山林の多い和歌山。 海沿いにある和歌山市から内陸部へかけてくねくねの山道をひたすら走って高野山へ。
 
これまで色々な方たちが口を揃えて言う「高野山、必ず行って下さい!」という言葉から、どんな所なのか、と不安と期待に胸を膨らませていた僕ら。
高野山に夕刻近くに着いた時、天気はあいにくの雨…。
まずは霊宝館にて貴重とされる仏像などの文化遺産を見学。館内は静まり返っていて、仏像の威厳を肌で感じる事が出来た。
 
その後は金剛峯寺にて「瞑想」をす る事に。
皆より少し遅れて行った僕。 瞑想は既に始まっているはずだ。お寺に入るも広過ぎて迷う。
靴を脱ぎ、音のない暗い廊下をとにかく進んでみた。
一瞬、肝試しを思い出す。途中通りかかった 寺務所で道を聞き、若いお坊さんに案内して頂いた。
非常に静かな夕暮れの金剛峯寺は3月の冷たい空気と雨の音で神秘的な雰囲気をかもしていた。雨が地面を打つ音以外に、何も聞こえない。
雨音とは、こうも心揺さぶるものかと感動すらおぼえる。
 
「ここです。」と案内された部屋の前に立ち止まるも、何も聞こえてこない…。
多分、中では瞑想の真っ最中のはずだ。僕は学校に遅刻して、既に授業が始まっている教室に入るような気持ちになった。
絶対に音をたてないように入ろうと戸 を引いた。 「ゴト…」 テレビやインタビューの収録時でも、小さな音や人の動きに非常に敏感に反応するヒデさん。
心で「すみません!!」と謝りながら、一本の蝋燭に照らされた部 屋にそそくさと入った。
ヒデさんは正座をして目を閉じている(ようだ)。その前に座り、落ち着いた声で話をしているのは住職の薮さん。
 
そんな中「あぁ…入らなきゃ良かったかな… 邪魔になったかな…」と少し心配していた僕だったのだけど、最後の方にお坊さんが全く別の話の流れからこう仰った。
「瞑想をするにあたって、瞑想をするから物音を立てるなと言ったり、瞑想中に誰かが物音を立てたからといって怒ったりしてはいけません。」
非常に深いこの言葉。まるで自分の事を言われているようだったのだけど、この時僕はこの藪さんの言葉にどれほど救われたか分からない。

 

 
夜は普賢院にて宿泊。
今回の帯同スタッフは僕と牧、そしてライターの川上さんとカメラマンの高橋さん、そして高野山での完璧なコーディネートをしてくれた 橋本さんの5人。
大広間に良い年をした男が5人、隣と完全に密着するような間隔で布団を並べ、寝るまでたわいもない話をグダグダするという、修学旅行のような夜を過ごし た。
ちなみに僕らスタッフの結束はこの日より強固となったのは言うまでもない。
 
翌朝は5時半から奥の院へ。 空海へ朝食を供える儀式を見に行く。
奥の院への入り口である一の橋から、左右を供養塔や慰霊碑で囲まれた表参道を20分ほど歩く。昨日より降り続く雨は幾ばくか強さを増したようにも感じた。
右腕で傘を指していたのだけど、気がつけば左肩がびしょ濡れになっていた…。
 
早朝で当然誰もおらず、その場所はこれまでのどんな場所より非日常的だった。
大雨に打たれながら、足下はびちょびちょになりながらも全く嫌な気分になら ず、黙々と歩を進めた僕ら。
僕は最後尾を歩きながら、幾度となく誰もいない後ろを振り返った。
前を向けばそこには5、6人がいて、後ろを向けば途端に僕だけの世界になる。
なんとも心洗われる時間を過ごした。
 
そこから熊野本宮大社へは距離にして約90キロ。
ただ、高速はなく、かなりの険しい山道を行くと言う事で、2時間半ほどかかるだろうと踏んでいた。
車を走らせて30分経つか経たないかという所だっただろうか。
助手席の牧が「あっ…全面つぅ・・」と声を出した。
「どうしたの?」と訊くと、「いや…」と言う。 それから5分ほどすると、車道の端に標識が出ていた。
「この先全面通行止め」 無言でその標識を注視する僕と牧。後ろのヒデさんはパソコンに目を落としている…。
 
そしてそのまま何も見なかったかのように無言で通り過ぎた僕ら。 もしかしたら僕はポロッと「まさかね…」と漏らしていたかもしれない。
これまでだってそんな事はなかったのだ。今更通行止めと言われても困る。
ここは山 道、他に行く道などない。どうすればいいのだ。
引き返すなど考えられない。引き返すとしたらどれだけの距離を引き返さなければならないか、考えただけで ゾッとする。
 
だってこんなにもクネクネした山道をもう何十分も走って来たんだぞ、と思いながら曲がったカーブの先が全面通行止めだった。
「えぇーーー!!!」 とまるで全く知らされてなかったかのような声を出す僕と牧。
後ろからヒデさんが「うそ、マジで?」と言っている。
「ちょ…な、なんも標識出てなかったよな?」と信じられない言葉が口をついて出る。
「はい、ありませんでした。」ときっぱり言う牧。
とにかくそこからまた引き返し、別ルートでナビ検索。約125キロと出ている…。
「こ、ここから125キロって事は…こりゃ合計4時間コースですね…。」
唖然とする牧…。 ヒデさんはさほど気にする様子もなく、パソコンをカタカタと叩いていた。
 
翌日は那智黒硯の山口さんを訪問。
到着間近、眼前に現れた那智大滝に驚かされる。ここではヒデさんが彫りの体験をさせてもらったのだけど、これが結構力がいるのか大変そうだ。
がっしりしたヒデさんが、「これはキツい!」と言っている。ライターの川上さんが挑戦するも、腕でなく、体ごと動いてしまっていて全くダメだったようだ。
それほど難しいのだろう。
 
ちなみに、ここ那智のご当地名物である八咫烏(やたがらす)、もうヒデさんが長らく着ていた日本代表のエンブレムでもある。
ヒデさんもなんとなく、懐かし んでいたような気がした。

 

 
その後、ヒデさんの「どうやら本州最南端の碑というのが近くにあるらしい」という声で、そこに向かってみた。
ただ、ナビにも正確な位置は出ず、雑誌の大雑把な地図を見ながら探す事になった。 近くには着いたのだけど、なかなか見当たらない。そうしている間にも日が暮れそうだ。
後ろからは「さぁ、僕らは日没までに間に合うのでしょうか?!」といういつものプレッシャーが投げ掛けられる。なんか以前もこういう事が何度かあったような…。
 
車を降り、通りすがりの人に言われた方向へと走り出したおじさん含む男5人。
ゼェゼェ言いながら着いた場所に「碑」はなかった。ただ、なんとなく目的地の近くにいるんだな、と思わせる看板だけは見つけたのだった。
 

 
最終日は梅農家である月向農園さんを訪問。
目的地が近づくと、後ろでヒデさんがポツリと言った。
「なんかブドウ畑に似てる。」
後で聞いてみると、梅の栽培はブドウのそれと似ているらしいのだ。
イタリアでよくブドウ畑には行っていたというヒデさん。経験とはこういう事だなと思っ た。
見て、知る事は自分の中に比較対象を持つという事だ。
 
物事は、何かと比較したりすると単体で見るよりも色々な部分が見えてくる。ブドウ畑を知らない僕 は、梅とブドウの栽培が似ているなど考えもしなかった。
僕は、今度はブドウ畑に行ってみたいと思った。 追求する心が芽生えて来たのかもしれない。
 
次は、三重へ行く。
 

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。