2010.03.08

大阪日記

日本第2の都市、大阪に来た僕ら。
神戸からも高速で30分ほどで中心部に来る事が出来る。
 
まずは大阪市から40キロほど北に位置する能勢町へ。ここでは秋鹿酒造さんを訪問。
朝の8時に到着したのだけど、当然作業はもっと早くから始まっていたようだ。時期は3月の頭、まだまだ寒い。曇った空と濡れた地面、それに加えて吐く息の白さが寒さを助長させていた。
こちらは、酒米作りから酒造りまでを自らで行う「一貫造り」を目指されているという。自営田では「低農薬・無農薬」のお米を栽培されているらしく、それらのお米で、自分達の目の届く範囲でそのお酒が消費される事を目標とされているらしい。この地産地消とも呼べる拘りを持つ人を、これまでの旅でも多く見かけてきた。
 
最近、ヒデさんの利き酒をする姿を見ていて思う事がある。
口にお酒を含んだ瞬間、何かすごく納得したような、そういう表情を浮かべる事があるのだ。
「あぁ、そうかそういう事か。」とは言わないが、そう言っているような表情になる。
それはきっと、そのお酒と作り手の間に何かしらの接点を見出せているのではないか、と僕は思っている。それはヒデさんの想像力を持ってして、の事なのかもしれないが、日本酒に対する知識と感覚が相当に深まっている事を証明しているのだと思う。

 

 
そこから一度交野市へ小1時間かけて行き、昼過ぎにまた能勢町へ戻った僕ら。
この旅では移動効率が重要視される事はない。必要であれば1日に同じ場所を何度でも通る事もある。
池田炭を作られている小谷さんを訪ねる。
到着間際、ここで合流予定のディレクターの大島君が手を振っているのが見えた。飛び跳ねてはいないが、何かしら嬉しそうに見える。聞けば、彼は早朝6時からここに来ており、炭作りの行程を取材していたらしい・・。時計は14時を指していた。
コンビニさえ周りにないこの場所に、8時間もいたのか・・と考えると、彼にとって僕らの到着は何よりも嬉しかったのかもしれない。一瞬、ハチ公を思い出してしまったのだけど、言葉にはせずに飲み込んでおいた。
 
釜の所で小谷さんのお話を聞く。
釜には炭となるクヌギが溢れるほどに入れられており、その隙間から内部の火が見えるのだけど、燃え盛る火は全く見えず、マグマのような赤色が覗く程度だった。けどいざ近づいてみると、4mほど離れた場所にいてもとても強い熱を感じる。何か表面で熱さを感じるのではなくて、じわじわと内部にまで到達するような、そんな熱さを感じた。聞けば、炭火からは遠赤外線がかなり出ているらしい。

 

 
その後、室内に移って小さな火鉢に炭を入れて火を入れてもらった。なんとなく風情がある上、これがとても暖かい。ヒデさんも無意識に近づき、冷えた手を温めていた。
 

 
翌日、朝から堺にある「銀シャリゲコ亭」へ。
こちら、名前の通り銀シャリで有名。6月~8月はお米が古くなるという理由から閉店するというこだわりもすごい。
米作りの現場を数々見て来たヒデさん、この旅では美味しいご飯を探す旅でもある。
到着してまず、「ご飯炊きの名人」と言われる大将にご挨拶。かなりのご高齢に思えるのだけど、声の張りやとても元気そうな笑顔を見ると、65歳~85歳くらいの方、とかなり大雑把にしか表現出来ない。そして毎回この旅で思う事の一つに、ご高齢な方ほど礼儀正しいというのがある。僕らよりも3倍近く生きているようなこちらの大将は、ヒデさんを「中田さん」と呼び、僕らにおにぎりを勧める時でも「どうぞどうぞ、カメラを置いて食べて下さい。」ときれいな言葉を遣って下さる。そしてそれは、とても気持ちが良い。
 
もちろん、ご高齢でなくともそういう方はいるのだけど、自分を含め、日常生活でこれほど相手をリスペクトして接する事が出来ているかどうかと問われると、とても疑問だ。多分めちゃくちゃな敬語を遣っているし、相手を不愉快にさせているかも知れない。ただこの大将のように、人を気持ちよくさせるのは単に言葉遣いだけではない、というのがまた難しい所でもあるのだけど・・。
ヒデさんはこういう方が好きなので、話も弾む。
そして実際にこちらで朝食を頂いたのだけど、ご飯が美味しいのはもちろんだけど、僕は密かにポテトサラダに感動していたのだ。
 

 
その晩僕らは「みのお山荘 風の杜」に宿泊。
夕飯を食べた後、大島君と大浴場へ。この時間は僕らスタッフの、一日の中で最も楽しみな時間でもある。
露天風呂で空を見ながら、大島君に聞いてみた。
「この仕事って、ディレクターからしたらどうなの?」
彼らは取材で日々色々な所にロケに行ったり、色々な人と会ったりしており、僕はてっきりこの仕事は彼らにとってはあまり新しいものなどないのかもしれない、と思っていたのだ。
「正直、これだけ毎日朝から晩まで目まぐるしく取材に負われる事なんてないですし、それら全部を頭に残しておけるか不安ですけど・・かなり刺激的ですよ。あと、こんな緊張感のある仕事なかなかないです・・。」
ん?緊張感ってなんだろ、と聞くと、
「変な意味じゃなくて、ヒデさんには真っ直ぐぶつからないと、通用しないじゃないですか・・。」
あぁ、確かにそうだな・・あの人自身が、意外と(?)真っ直ぐな人間だからなのか、彼と接する時は自分もどこかそういう緊張感を感じるのに気付いた。
風呂はやっぱり、良い時間なのだ。
 
3日目は、だんじり大工の泉谷工務店さんを訪ねた。
岸和田のだんじり祭り、テレビでは何度も映像を見た事はあったのだけど、だんじりの意味さえ考えた事もなかった。泉谷さん曰く、「山車(だし)が方言でなまってだんじりとなったようです。」との事だ。
その泉谷さん、まだ30歳くらいの方なのだけど、僕らが訪ねた時に作られていた山車がデビュー作との事。実際に近くでケヤキから作られる山車を見てみると、驚くほど細かい模様が彫られている。とても精巧で、どれだけの時間がかかるのだろう、と聞いてみると、なんとこの1台の製作期間は5年にも及ぶという・・。
 
これほど情報がない場所に訪れたのは初めてと思うような場所だったというのもあるけれど、とにかく驚きの連続。ヒデさんが、そんな泉谷さんだんじり職人になった訳を訊いた。
「物心ついた時から、身近な所に“だんじり”があったんです。子供の時から、だんじり祭りが待ち遠しくて仕方ありませんでした。将来を考えるようになった時、自然とこの道に入りました。」
生きる上での環境が、ある意味どれだけ人の人生を左右するかを、目の当たりにした気がした。
 

 
大阪はこれまで行ったどの地方都市よりも当然大きかった。けど東京より小さいかと問われれば、素直にそうとは肯定出来ない部分もあった。
都市高速は東京の首都高より車線も多いし、30分~40分程度で神戸にも京都にだって行ける。見方によっては、東京よりも広いと言えるかもしれない。

そして次は和歌山へと行くのだけど、「また自然の多い場所に行けるんだ。」というだけで、何かホッとした気分になれた。

 
次は、三重へ行く。
 

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。