2012.11.27

宮城日記前編

福島に続き、宮城県。
旅も東北2県目へと入った。旅の本当の面白さは、比較対象を持ってからはじまる。宮城県は、福島とどんな違いがあるのだろうとワクワクする。
最初の訪問先は、超高級牛肉である「仙台牛」を育てる大友学さん
仙台牛とは、審査基準が厳しく、枝肉の格付け等級が最高の5に格付けされなければその呼称が許されないという、最高級のブランド牛肉だという。
仙台牛はお米の稲わらを食べて育てるとの事、「この辺の田んぼに寄せ集めてある稲わらの塊はほとんど牛の餌です。牧草では美味しいサシ(脂)は入らないですね。」と大友さん。
 
他にも、かなり基本的なお肉の知識を幾つも教えて頂く。例えば一頭400kgの牛から、サーロインは20kgほどとれるけども、フィレは5kgほどしかとれないなど、具体的に数字を使って説明してもらうととてもわかり易い。
大友さんの所では現在、75頭の牛がいるのだけど、その中から仙台牛になるのは約4割との事。後に聞いた所によると、この4割というのは多い方で、名人クラスらしい。
この日はたまたま取材中に、牛の出荷を見る事が出来た。とても大きな、というよりも立派な牛が、ロープで引っ張られてトラックへとノソノソ移動する。胴回りの太さと、足の細さがアンバランスだなぁ…と思って見ていると、牛舎に残された一頭がトラックの方を見ながら、ひと際大きく「モ〜!」と鳴いていたのが印象的だった。
 

この日はその後で刀匠 九代目法華三郎信房である高橋大喜さんを訪問して終了。
2日目、まずは早朝より鹽竈(しおがま)神社へ。素晴らしい天気に恵まれて、本当に空気が美味しい。海がすぐという事もあって、高台からの景色は寒さを忘れさせてくれた。
 

それから気仙沼市へ移動。牡蠣養殖家の畠山信さんを訪問。
祖父の代からという事で、畠山さんは3代目。
牡蠣の養殖は(養殖用の)いかだを浮かべられるような、穏やかな内湾で行われる。
「牡蠣は塩分要素などの違いで、とれる海によって味が変わって来ます。ちなみに宮城の牡蠣の特徴は、広島産に比べて小ぶりですが、身が大きめで味が濃いと言われます」
 

震災前は70基のいかだがあったそうなのだけど、津波に全て持って行かれたとの事。
「今はまだ回復できていませんが、前と同じに戻すだけではダメだとも思います。今は、若い仲間と新しい産業を作っていかなければ、と思っています。」
畠山さん自身も、津波が直撃した時にはボートで海に出られていたらしく、まさしく九死に一生を得られたのだという。
 
こちらで聞いた話で面白かったのが、ムール貝の事。牡蠣の養殖をしていると、いかだに勝手につくらしい。ヒデさんの「日々の作業ってどういうものですか?」の質問にも、「ムール貝をとったり…」と返されるほど。洋食レストランなどでしか食べないので、どこか高級品というイメージが僕には(勝手に)あっただけに、驚かされた。
最後に、畠山さんが支援団体の人と飲んでいる時に「つまみが欲しい」という話になり、製品化したという牡蠣の薫製を頂く。美味い。午前中だったのだけど、とてもお酒が飲みたくなった…。
 

それから僕らは屋台の並ぶ「気仙沼復興商店街」へ立寄り、午後は「ふかひれの石渡商店」さんを訪問。こちら、本来予定になく、突如の訪問にもかかわらず、快く受け入れて下さった。
石渡久師さんにお話を伺う。鮫、フカヒレ、と言えば単純に中国というイメージのあった僕。日本では水揚げ量は気仙沼が一番らしく、それに銚子、勝浦と続くとの事。
「気仙沼だと、鮫の心臓も食べます。特に弁がうまいんです。」
と石渡さん。うまく想像は出来なかったのだけど、あぁ、美味しいんだなぁというのが伝わって来るような話し方をされていた。
マグロ漁に混ざってあがるという鮫は、フカヒレは勿論の事、肉はすり身にしてかまぼこやハンペンになるという。
 
実はこちら、工場が出来て2ヶ月の時に東日本大震災が発生、大津波で工場も飲まれてしまったらしい。
「親父と工場を見に行きました。あまりに変わり果てたその場所に立ち尽くす親父の背中を見た時に、あ、もうやめるんだろうなと思ったんです。ただ、この会社ももう55年、歴史も沢山ありますし、津波ひとつで終わらせたくないと思い、自分が引き継ぎました」
正直、僕は本当に途方に暮れた人を見た事がない。だからこの話を聞いても、僕にはその辛さ、大変さがうまく想像出来なかった。震災直後に、ヒデさんと旅メンバーで被害の甚大だった宮城沿岸部を訪れた時だって、そのあまりの凄さに、何も感じる事が出来なかったのを思い出した。
ただ1つだけ、「あ、人が本気になる」というのはこういう事なんだな、というのが石渡さんの目からはひしひしと伝わってきた。
 

3日目。まずは早朝は4時半過ぎに宿を出発。僕らは東松島市大曲の港(皇室御献上の浜)へと向かった。この日は船で沖へと出て、震災以降、約2年ぶりの海苔の収穫へと同行させて頂くのだ。当たり前だけども…寒い。案内して頂いた太田さんの話によると、この日はまだそこまで寒い方ではないとの事。
「本当に寒い時は、カッパについた水しぶきがそのまま凍るんです。」
マンガのようなポカンとした顔を並べる旅メンバー。これは相当ハードになりそうだ、と覚悟を決める。
完全装備のヒデさんと取材陣を乗せた船は、5時45分を過ぎた頃にゆっくりと港を離れた…のを見送った僕。あまりに船酔いに弱い事からヒデさんに、「キンヤは行かない方がいいな。ここで潰れられると後のスケジュールに支障が出る。」とサクッと居残りを命じられたのだ。残れと言われて決して、いや決して嬉しかった訳ではないのだけど、徴兵を免除されたような気分で、とにかくどうしてあんなにホッとしたのだろうと今でも不思議だ。
 
酔い止めまで飲んでいた僕は、暖かい車中で極寒の風と水しぶきに晒されているであろうみんなを思いながら少しだけ眠る。
数時間後にふと目が覚めると、顔が膠着したままのディレクターの大島がバックミラーに映っていた。「ゃ…ヤバいっす…。」とボソボソ呟きながら厚手のベンチコートを脱ぎ、顔に着いた泥を拭う大島。そのすぐ後にやってきたヒデさんも、「寒かった…。これまでにないね…ここまではないね…。」と言いつつも、表情はどこか晴れている。
その後で、ついこの5日前に出来たばかりという工場を見学し、最後にさきほど収穫した海苔のお吸い物を頂く。ただ車で寝ていただけの僕にとっても、これからも記憶に残り続けるだろうくらいに美味しかったのだけど、実際に収穫を体験したヒデさんたちにすれば、その何倍も美味しかったに違いないと、少し羨ましかった。
 

 
宮城日記中編1へつづく

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。