2012.11.27
宮城日記中編1
大曲の港を後にした僕らは墨迺江酒造さんを訪問してから、石巻市へ。雄勝硯の遠藤市雄さんを訪ねた。
山の上にある採石場を案内して頂けるという雄勝硯生産販売協同組合の高橋さんとまずは役場跡で合流。ご挨拶をしてからの第一声が、「車は四駆ですか?」だった。確か…四駆です、という弱気と不安の入り交じった返事を返すも、「では後ろを着いて来て下さい。」とそのまま、出発。
海沿いの道から山へと入る。早速、狭い。本当に、僕らの車1台分の幅しかないという道を、恐る恐る抜ける。やっと抜けたと思うと、今度はそれなりの大きさの石ころだらけの細い道を、上へ上へと登る事10分ほど。急に開けた場所へ出た。

600年以上の歴史を持つ伝統産業である雄勝硯は、日本のシェア90%を誇って来たという。雄勝の石の特徴としては、純黒色で給水率が低く、永い年月にも変質せず、加えて石肌の自然模様も優雅さがあるとの事。目の前に広がるのはまさに石の山なのだけど、この中から硯になるのはほんの1割程度らしい。ただ、僕からすれば、足下に転がっている石たちの中にも、家に持ち帰りたくなるようなものが沢山あった。
それから再度役場跡へ移動。硯職人の遠藤市雄さんの仕事を見学させて頂く。遠藤さんは震災後も、この役場跡を工房にして仕事を続けられている。作業は、ノミを使って堅い石を削るのだけど、腕の力だけでは削れない事から、ノミの持ち手の先を胸と肩の間に押し当て、体ごとノミと一緒に前後させながら石を削る。小さな体の遠藤さんだけど、その作業する姿はとても力強い。
そして何より驚いたのは、長年の仕事の積み重ねで、ノミを押し当てていた胸の部分がぽっこり凹んでいた事だった。まさに職人、というと軽くなるけども、その人が一生を捧げてきた仕事がまさに体に形となって残るという事に、その重みを感じずにはいられなかった。そう言えば、ヒデさんの足にも現役時代に削られた傷が幾つも残っているのを思い出す。もしかしたらヒデさんは、この旅で出合う職人さんに対して、自分と通じる何かを感じているのかも知れない。

この日は最後に末永海産さんを訪問して終了。
4日目、まずは7時半より、伊達政宗が眠る瑞鳳殿を訪問。毎回同じ事を言っているのだけど、早朝の神社仏閣の訪問は本当に気持ちが良い。特にこの日のように天気が良いと、寒さも忘れてしまうほどだ。
こちらも、100近くあった石灯籠の大半が倒れてしまったりと、震災の影響を強く受けたとの事。ゆっくりと歩きながら敷地内をまわっていると、紅葉の季節特有の、建物だけではない自然の美しさも目に飛び込んで来る。

学芸員の加藤さんに色々と説明して頂いたのだけど、伊達家の家紋の事など、デザインに関する事でヒデさんも興味津々。最近は自分に関係するあるロゴのデザインも考えたりしているようで、色々と昔の意匠の事について質問するヒデさん。
「本当に良いデザインって、古臭くならないですよね。」と、美しい建物の細かな部分を食い入るように見ていた。

次はせんだいメディアテークを訪問。副館長の佐藤さんにお話を伺う。
ガラス張りの、とても近代的な建物は、ヒデさんとも交流の深い伊東豊雄さんの設計。こちらは色々な人がメディアを通じて自由に情報のやりとりを行う為の公共施設という事で、年代を問わず、年間100万人の人が訪れるという。東京にあるのとは訳が違うので、とんでもない数字だ。こちらの図書館は、白と赤がセンスよく組み合わされた、そこにいるだけで気分が良くなる場所。棚に並ぶ本たちをチラッと見ただけでも、好奇心を掻き立てられる魅力的なタイトルのものが目に入って来る。近所にあったら、入り浸る事間違い無しの場所だ。
佐藤さんの話で、少し気になった事があった。
「震災の後、子供達の言う事が少し変わったんですね。変わったというか、大人びて来たというか。皆で何かに取り組むのが楽しいとか、以前は言わなかったような発言をよく耳にするんです。」
子供達が大人びる、というのはどういう意味だろうと考える。マイナスな事ではないと思うけど、どこか、「自由」や「伸び伸び」というような子供らしいものではやはりない。
こういう話を聞くと、震災は良くも悪くも色々な人達に影響を与えていて、その中には当然、僕らの想像も及ばない部分で影響を受けている子供達が沢山いる事に気付かされ、考えさせられた。

次の訪問先は仙台堆朱の南一徳さん。
仙台堆朱とは、彫刻を施した木地に朱漆を数十回〜数百回と塗り重ねたもの。仙台は古くから漆器の産地だったらしいのだけど、伊達藩になってからは漆の栽培に特に力を入れたという。
南さん曰く、「東北と九州はなぜか“半ツヤ”を好むのですが、関東はツヤのあるものが好まれるようです」との事。西と東ですき焼きの割り下がどうのという話もそうだけど、やはりその土地で目にするもの、口に入れるものと好みはあるようだ。
この堆朱というのはあくまで技法のひとつという事で、南さんは蒔絵も螺鈿(らでん)もやられている。
ここで、南さんのとんでもない作品を見せて頂いた。漆を毎日毎日、10年以上塗り重ね続けて作られたぐい呑みだ。さすがのヒデさんも、「こんなの見た事も、聞いた事もありません(笑)すごいです!」と驚いている。最近では、こうやってヒデさんが驚く事などほとんどないので、相当な事なのだろう。
何度もすごいを連発するヒデさんに、「良かった…そういわれると本当に嬉しいです…。」と南さん。毎日毎日10年、と言葉にするとたった7文字…。言葉の儚さを実感させられた。

それから白石市へ移動して、白石和紙の工房を訪問。
入り口のガラス戸をノックしても、返事がない。誰もいないのかと、大声で「こんにちは!」と叫ぶも、返事がない。ソッと少しだけ戸を開けると、2人のおばあちゃんが共同作業で和紙を漉いていた。「失礼します!」と断って中に入り、取材の旨を告げる。
黙々と作業を続けるおふたりの横で、ヒデさんはジッとその作業を見続ける。10分ほど経ってから、1人の方がヒデさんを見て、「あなたどこかで見た顔だね?」という。そこからは、それまでの黙々とした作業が嘘だったかのように、器用に手を動かしながら、ヒデさんへの質問攻めが始まった。
ヒデさんは、本当に年配の方から好かれる。ただ、おばあちゃん達のエネルギーにタジタジで、「どっちが取材に来てるのかわかんないよ!」と笑うヒデさんが少しおかしかった。

最後に大沼酒造店さんを訪問し、宮城の旅第1弾は終了した。
宮城日記中編2へつづく