2012.11.27

宮城日記中編2

宮城の旅、第2弾。
初日、まずは早朝から女川魚市場へ。思ったより、寒くない。
車を降りて活気のある港の方へ歩いて行くと、餌を求めて来たものすごい数の海鳥に気分が上がる。ここはさんまの水揚げ日本一を競うという有数の漁港との事。北海道沖から三陸沖で獲れたさんまはこの港で水揚げされる。一切の日常から切り離された海に生きる漁師さんからこういう話を直に聞くと、伝統工芸の職人さんと通じるものを感じる。
 
株式会社女川魚市場の専務 加藤さんにお話を伺う。実はヒデさん、魚の中ではさんまが一番の好物との事。早速「一番美味いさんまとは?」と質問を投げる。
「根室(北海道)の東沖で夏くらいに取れるのは太っていて美味しいです。秋になると徐々に南下してくるので、10月頃なら岩手沖のも美味しいですよ」
何でもそうなのだけど、その対象を詳しく知る事で、好奇心は増して行く。さんまに対して特別どうも思ってなかった僕も、話を聞く内にさんまが食べたくなってきた。
漁師さんの生活はヒデさんにとっても未知数。「仕事って、いつからいつまでとか、季節はあるんですか?」と質問が続く。
「1月、2月は完全に休みです。ただ、それ以外はほぼ休みなしで海に出てますね」
笑って話される加藤さんだけど、その生活サイクルが僕には想像出来ない。逃げ場のない大海原で仕事をする事は、きっと想像も出来ないほどに厳しいものなのだろうけど、きっとそれと引換に、僕らが手に出来ない素晴らしいものがあるのだろうと、港で働く人達を見ながら考える。
 
震災による大津波で甚大な被害を受けたこの女川には、復興の起点になれるようにと、カタール国から6000トン級の冷蔵貯蔵施設が寄付された。
「また津波が来ても大丈夫なように、冷蔵施設は2階に作られています。最上階の部屋(避難室)は完全アナログです。今回の件で、今で言う便利が本当は不便な事に気付きましたから」
その避難室で聞いた最後の言葉には、何とも深く考えさせられてしまった。
 

それから次はお米農家の石井稔さんを訪問。「日本有機栽培の神様」とまで言われる石井さん。40年にも及ぶ有機栽培の実績をお持ちだ。この時期、既に刈り取りは終わっていたのだけど、「それで終わりではありません。来年に向けての土作りがもう始まってますし、除草準備もあります。」との事。石井さんは地元で取った微生物を肥料として使われていたり、お米の品種にはこだわらず、地元で多いひとめぼれを作られていたりと、地元を大切にされている事が伝わって来る。
そして新米を試食させて頂いた僕ら。もう、見るからに美味しくない訳がない、というお米だった。
 

この日最後はガラス工芸作家の鍋田尚男さんを訪問。
仙台市秋保町にある、鍋田さんのギャラリーとアトリエ。とても雰囲気のある場所で、小雨混じりの天気だったのが少しだけ残念だった。鍋田さんの作品を見ての印象は、キレイ、のひと言。当然、ただキレイというだけではなくて、手作りの良さと、気持ちの良い精密さが絶妙のバランスを取り合っているように思えた。
 

どこかの展示会で目にして、今回の訪問を決めたというヒデさん。「いいだろ?」と、まるで自分の事のように僕らに言う。得意げだ。
東京の美術大学でデザインを学ばれたらしいのだけど、その時は椅子や照明を作るコースだったらしい。
「けど今思えば、その経験が今に生きてる部分もありますから、良かったと思います。」
どんな経験も、自分次第で活かしようがあるという事を教えられる。鍋田さんからは、職人さんには珍しい、柔らかさを感じたのだけど、それは作品作りの姿勢にも現れている。
「色々な技法をやります。何か1つの技法にこだわって作り続けるよりも、自分のイメージに近づけるにはどの技法がいいかで考えています。」
この言葉はとてもシンプルで、深くて、色々な事に共通していると思う。
 

2日目、まずは観瀾亭へ。
ここは松島町という海沿いの町で、その観瀾亭は海に面した素晴らしい場所にある。おーすごい!とわくわくして車を降りるともの凄い風…しかも冷たい…。風を除けるように下を向きながら先へ進むと、そこには素晴らしい景色が待っていた。
 

「観瀾」とは、さざ波を観るという意味らしいのだけど、この景色のさざ波なら一日中見てても飽きないなと思う。
町の産業観光課の千葉さんに色々なお話を伺う。もともとこの建物は豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室であった事、それを伊達政宗がもらい受け、ここへ海路、移築された事…。移築という技術があった事も驚きなのだけど、それらの建物がこうして残っている事にロマンを感じる。
色々な話の中で武田信玄の何かの話になった時、やけにヒデさんが反応していたのが少しおかしかった。やはり地元の殿様には一目置いているのだろう。
 

それから次は新澤醸造店さんへ。5代目の新澤巌夫さんにお話を聞く。ロンドンオリンピックの時に、ヒデさんがプロデュースした「N Bar(エヌバー)」にも、現地にまで赴いて頂いていたという新澤さん。ヒデさんとも既に良く知る仲。到着する少し前から、軽く雪が舞い始めていた。車を降りると、今朝の松島町よりも冷たい風が吹いていた。
以前は8割が普通酒で占められていたそうで、厳しい経営から廃業も考えていた先代を、巌夫さんが説得し、自らが杜氏となって今に至るという。酒造りも、今では9割が純米酒との事だ。
こちらでは酒米の管理に大きな工夫があったり、他の場所にもとてもマニアックな工夫があったり、「他の蔵に少し差をつけられますから。」と、ほんの少しの違いを大事に考えておられる。
「ひとつの工程をサボると、次の工程でその分大変になります。」
サラッと話される言葉は、どんな分野でも通じる事だ。
 
巌夫さん曰く、昔の杜氏さんはなかなか酒造りのコツを教えてくれなかったらしい。
「何とかコツを聞き出そうと色々工夫しました。お風呂で背中を流したりすると、やっぱりリラックスするのか、色々話してくれて、それを上がってすぐにメモしてましたね。もしかしたらそういう事をしてた最後の世代かもしれません。」
巌夫さんは37才なのだけど、とても堅実で、ロジカルな考え方をする方だった。この人のお酒が、すごく飲みたくなった。
 

宮城日記中編3へつづく
 

■Staff Profile
日本全国47都道府県の旅で、現場マネージャー兼、カメラマン兼、ドライバーを担当。
10代でサッカーをするために単身ブラジルへ渡った経歴の持ち主で、
ポルトガル語・英語・フランス語を話す。